[コメント] 小さな恋のメロディ(1971/英)
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2021年に初鑑賞。実は観たことなかったんです。微塵も。
ほら、ビージーズと言えば「メロディ・フェア」より「ナイト・フィーバー」や「ステイン・アライブ」の世代だからさ。 嘘。『サタデー・ナイト・フィーバー』も『ステイン・アライブ』も観てない。 てゆーか、日本人、この映画やたら好きよね。英米じゃヒットしなかったそうだけど。
近所の映画館でデジタルリマスター版を観たのですが、微塵も知らないもんだから、オープニングテロップで脚本にアラン・パーカー(<それは薄々知っていた)、製作にデヴィッド・パットナムの名があった時には驚いた。 『ミッドナイト・エクスプレス』じゃないですか。社会派ですよ。 調べてみたら、アラン・パーカー27歳、デヴィッド・パットナム30歳、共に「若葉のころ」。なんてな。
監督は全然知らん人ですし、当時のイギリスの社会情勢も分からないんですが、要するに「大人は信用できない」ってことだと思うんです。 若者による大人(=社会)批判。 いや、批判ってほどでもないな。価値観の相違。
「どうして一緒にいちゃいけないの?」「愛していることがどうして悪いのだ?」と井上陽水「断絶」みたいなことを言いますが、井上陽水「断絶」が1972年。ちょうど同じ時期だ。そういう時代だったんだな。ちなみに陽水23歳。俺は4歳(<どうでもいい)。
実際、この学校の授業で描写されるのは、ラテン語であり、キリスト教典であり、歴史の授業です。一方、主人公二人は地理や数学が好きだと話します。 道徳観醸成のために「過去」を教えたがる大人に対し、子供達は「未来」を生きるために必要な学問を欲しているのです。
そう考えるとこの映画、キラキラと輝く子供達を活写するより、大人を醜く撮ることに終始しているように見えます。まあ、監督の力量かもしれませんが。
もう一つ。
中産階級の男の子が、労働者階級の親友と出会い、さらに労働者階級の女の子と恋をするというお話です。 イギリス映画は、こうした社会階級を伴う話が多い気がします。 私のケン・ローチ好きがそう思わせるだけかもしれませんけどね。 でもこの映画、身分違いが障害ではないのに、家庭の事情を丹念に描きます。
もちろん日米にも「身分格差」物は多々ありますが、どちらかというと「セレブに恋した/された平民の私」あるいは「理由があって貧乏になった」という設定で、身分格差そのものがストーリーの中核に置かれる場合が多い。 おそらく日本は「平等」が前提だからです。 しかしイギリス映画の場合は、物語のバックボーンとして社会階級が描かれる。金持ちより貧乏人に視点が置かれる。 おそらく、イギリスは格差が前提(もはや当たり前になるほど深刻な社会問題)なのでしょう。
つまりこれは、「子供達にとって社会階級なんか関係ない」という映画なのです。 しかし大人は、その悪しき慣習を維持すべく、「過去」を教育しようとする。そして子供達はそれに抵抗する。ゴリゴリ社会派ですよ。
ここから私の勝手な推測です。
アラン・パーカーや井上陽水(<関係ない)はビートルズの影響を受けた世代だと思うんです。 ビートルズは世界中が熱狂したと勘違いされますが、あくまで「若者が」熱狂したにすぎません。そして港町リヴァプール出身の彼らは、絶妙に労働者階級でも中産階級でもなく、イギリスの根深い社会問題とは無関係に支持を集めた。 ビートルズが「若者にとって社会階級なんか関係ない」をやってのけた。 「音楽で世界を変えられる」と信じられた時代。 そういった意味では、この『小さな恋のメロディ』 はビージーズよりもビートルズの影響下にあるのです。というのは私の暴論。
しかし70年代後半になるとロックも多様化、複雑化してきて、「えーい、もう面倒くせえ!」と労働者階級の若者が暴れだすんですよ。それがパンク・ロック。セックス・ピストルズ。 そういった意味では、ダニエルとメロディの行く末が『シド・アンド・ナンシー』なのです。あのトロッコの行く先は、ぐるっと回って階層社会に戻ってしまう。超暴論。ボーイズ・ビー・シド・ヴィシャス!
(2021.10.10 Morc阿佐ヶ谷にて鑑賞)
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