[コメント] 解夏(2003/日)
病に対する「恐怖」を描くことよりも「無念さ」を描いた手紙のシーンで、私は大沢たかおよりも派手に号泣してしまった。
「いじめにあっています・・先生、助けに来て下さい・・」
お涙頂戴タイプの邦画が大嫌いだという方は多い。それはきっと「ずるさ」が見え隠れする作品と違って、「ずるさ」が大手を振っている感じが嫌なのだろう。
この作品はその典型的な作品だ。しかも原作さだまさしという一部の日本人には鳥肌が立つほどの拒否反応を示す条件が揃っている。
失明という結果に向かっていく主人公の最後の季節を丹念に撮り、この手の作品の核となるべき主人公の心を丁寧に描ききった。そして、こういった作品がさらにワンステップ上の作品になるべき条件として、周囲の人物の存在感が挙げられるが、富司純子・松村達雄によってそれもクリアされている。
だけどそこまでなら、普通のお涙頂戴タイプの邦画だった。単に迫る恐怖を描くだけでなく、アノ生徒たちからの手紙。この作品の描く「無念さ」は尋常ではなかった。
病気の怖さを描くだけでなく、病気になることで出来なくなる事。病気という目には見えないがとてつもなく大きな鉄槌の前に無力化するしかない人間のはかなさ。病気との闘いを描いてきた映画など、それこそ星の数ほどあるのだろうが、私は人間の無力さをココまで味合わされたシーンを知らない。
私は大沢たかおよりも派手に号泣してしまった。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (5 人) | [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。