[コメント] ラヴィ・ド・ボエーム(1992/仏=伊=スウェーデン=フィンランド)
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これはカウリスマキが「男の友情」を正面切って描いた(目下のところ)唯一の作品だ(『愛しのタチアナ』は「友情もの」とは云い難いでしょう)。確かにほとんどのカウリスマキ映画に共通する「ボーイ・ミーツ・ガール」が物語の根幹を成していることも事実だが、私は男たちの友情の様に決定的にやられた。
畸形の鱒を分け合うマッティ・ペロンパーとアンドレ・ウィルムス。友人の協力を得て国外追放から帰還するペロンパーの、この上なくいいかげんな帰還ぶり。ピクニック。可笑しくもどこか切ないカリ・ヴァーナネンの自作曲演奏。そう云えばライブハウスのシーンではなぜかロックバンドに交じってヴァーナネンが無茶苦茶に踊っていたなあ。そしてイヴリヌ・ディディの入院費用のために蔵書や車を処分するウィルムスとヴァーナネン。思い出しただけで涙が止まらないシーンばかりだ。カウリスマキ映画における幸せとはそのほとんどが「孤独な男が運命の女性と出逢うこと」だったが、男たちの友情(これ見よがしな友情ではなく、時にいいかげんでもあるが、慎ましやかで確固とした友情)もこのように幸せなものとして描くことのできるカウリスマキは、その禁欲的な映画スタイルとは裏腹に、限りなく甘美な夢想に支えられた人間なのだろう。
幸せといえば、私の二大アイドル、ペロンパーとジャン=ピエール・レオーが共演しているというだけで私にとってこれほど幸せな映画はないのだが、それはカウリスマキにとっても同様だったのではないだろうか。芸術の都パリを舞台にして、ペロンパーやヴァーナネンなどの信頼する仲間に加え、レオー、サミュエル・フラー、ルイ・マルといったアイドルたちの協力を受けて映画をつくる。思わず『スリ』からの無邪気すぎる引用までやってしまう。エンディングに流れる「雪の降る町を」はカウリスマキの友人である日本人の歌唱で、画家ペロンパーの作品として劇中に登場する絵画はカウリスマキの夫人の作だそうだ。どれほど悲しい結末が待ち受けていようと、これはやはり途方もなく幸せなフィルムだ。
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