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[コメント] 花とアリス(2004/日)

たとえば蒼井優の演出が評判だが、これは少女の瞬間を切り取っているなんて芸術的かつ観念的な代物ではなく、非常に計算された記号的かつ物理的な演出だと思うのだ。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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よく映画やテレビドラマの少女が作り物っぽいとの意見を聞く。何でうそ臭い演技をさせるのか?もっとありのままを撮れみたいな。でも、実際にそんなことすれば、ホームビデオや自主映画みたいな大向こうの鑑賞にはおよそ絶えられない代物になる。商品たるストーリーやドラマを成立させるには、現実ではない空間・時間独自のフォーマットが必要となり、ひいてはプロフェッショナルな芝居が必要となる。当たり前のことだ。

ただ、岩井俊二はそれを重々承知の上で、逆手に取る。上記のような「煮魚ではなく刺身を食わせろ」みたいな観客の欲求を踏まえ、しつこく言えば、観客にタレントが演技しているうそ臭い少女のイメージが植えつけられていることを前提に、それとの差別化を図る。そして、「芸能人と向き合わされて、或いはカメラを向けられて自分を作れない、ボソボソとしか話せない、照れて、物怖じして、俗に言う芸能人のオーラを微塵も感じさせない」ど素人の少女を蒼井優に完璧なまでに「演技」させ、ソダーバーグみたいなラフを装った狡猾なカメラワークで補完する。これはあくまで刺身の味と食感を再現した加工食品だ。自然体の延長にあるのではなく、芝居の延長にある。

そして、オーラも無ければ何もできなかった少女が、バレエを始めた瞬間、その時間と空間を支配するまでの輝きを放ち、阿呆みたいに単純なシンデレラ・ストーリーも俄然色めきたって見えてくるという仕掛けだ。そもそも蒼井優という珠を冷静に考えれば、エトセトラで出てきた女の子たちとは格が違うんだから、「みにくいアヒルの子」を八百長でやったようなもんなんだが、でも娯楽映画の仕掛けとは本来こういうものであって、基本に忠実と言えるのかも知れない。

或いは平泉成パパが世の疲れ果てたお父ちゃんたちの儚い幻想を臆面も無く体現していたのを見ても解る通り、話は砂糖菓子に過ぎないんだが、トランプのくだり等巧みな挿話やアトムのバルーンといった小道具で、折を見てファンタジーに避難する。そして、これら全てを背負わせた荷車が、実は、鈴木杏の後景化した少女性だったとことを考えると、岩井俊二は悪党だとさえ思うが、『スワロウテイル』みたいな作品よりも、こういう誰が食っても旨い製品の方が遥かに尊いと思った。

しかし、うざかったのはカメオだ。鈴木杏は別として、これだけナチュラル指向でキャスティングしながら、相田翔子阿部寛広末涼子みたいなどう見ても芸能人にしか見えず、芸能人芝居しかできない役者たちを引っ張ってきた意図がどこにあったのか。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)shiono G31[*]

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