[コメント] イン・ザ・カット(2003/豪=米=英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
とにかく、ストーリーも登場人物の設定も、それに映像も乱れていて(ボカシとは別の部分)、支離滅裂にしか映らなく、下品な言葉もまったく必要と感じない。
もちろん「メグ・ライアンのヌードをきれいに撮る」という発想は男性的かもしれない。大女優も一人の女であり、「女」としての赤裸々な情熱を、飾らない姿で表現をしようという試みだったのかもしれないが、それが全くサスペンスと融合していなかったし、とにかく「きたないメグ」という印象しか残らない映画。本人は頑張っていたと思うのに。
そういえば随分昔に、映画の字幕や翻訳をするさいに、「英語には男女の言葉の区別がないのに、男性の翻訳家は、女性の台詞が<・・・・・・だわ>とか、<アタシが・・・・>とか、そういう言葉を使いすぎる」とか何とかいっていた女性がいたが、それに対する答えとして、「女性翻訳家も、男の台詞に<・・・・・・だぜ>とか、必要以上に汚い言葉を使わせたがる」といっていたのを思い出した。(多少違うかもしれないが、おおむねこんな感じのやりとり)。同じような匂いを感じた。
元々はニコール・キッドマンのために作られたヒロイン。もし、そのままニコールが出演していたら、意外に「汚れニコール」はイケたかもしれない。トップ女優でありながら、演技の幅も広いし、今までも色んな役にチャレンジしているから、たとえその中にヌードやSEXシーンがあったとしても、そこだけ浮き立ってしまうこともなく、ましてや「汚れ」が際立つことなく、ひとつの作品として成立していたかもしれない。しかしそのワクにメグ・ライアンを持ってくると、「イメチェン」だとか、「大胆なヌード」だとか、そういった所ばかりが突出してしまい、「デリケートな女の心情」や「サスペンス」らのバランスが、ひどく居心地悪い。何かもうひとつ「挑戦」をしてから、この作品に出演して欲しかった。
はたして、彼女が挑戦するなら、どんな役がいいか。まずひとついえるのは「絶対キャリアウーマンになってはいけない!」ということ。この「仕事が出来る女」のイメージはかなり重い。これはアシュレイ・ジャドにもいえること。ひとつ参考になるのが、ショーン・ペン、ケビン・スペイシー主演の『キャスティング・ディレクター』という映画。この中でメグは、ほんの数分出演しているだけの、ほとんどカメオのような出番。それも「薬におぼれる娼婦」かなんかだった。このメグもすごく乱れ、映画として、そこに彼女が必要かどうか疑問はあるが、「意外な一面をみた」という気分になった。
仮にニコール・キッドマンが主演した映画に、代わりにメグ・ライアンをはめ込むとしたら、何がいいか。『アザーズ』のようなゴシック・ホラーで、眉間にシワを寄せ、子供を叱りながら、迫りくる恐怖に怯える・・・。あれは怖がれば怖がるほど、ニコールの美しさが際立つ、不思議な映画でした。ここにメグを代用すると、またニコール版とは違う魅力にあふれた映画になったんじゃないでしょうか。あるいは『バースデー・ガール』のような、「ネットで宅配花嫁を注文」したら、ニコール・キッドマンが送られてきたという、ある意味「レオ○レスでお部屋を借りたら藤原紀香が付いてきた」的なぶっ飛んだ映画。怪しげなロシア語を話す、正体不明の女。とにかくミステリアスを通り越して、何を考えているのか、何をたくらんでいるのかが、全く判らない女に、正直者の男が振り回されるという展開にメグを当てはめると、ニコールのような「小悪魔」じゃなく、「一途な狂女」のようになって、また違った楽しみが出来るのでは。
また、『めぐりあう時間たち』に当てはめるのなら、キコール演じるヴァージニア・ウルフ役じゃなく、ジュリアン・ムーア演じる主婦の役なんかいかがだろうか。かなりの演技派ジュリアンのハードルは高いが、挑戦する価値はあるかもしれない(ただし、せっかくの三大女優ニコール、ジュリアン、ストリープのバランスの均衡が保てなくなるかも。
最後に、ニコール物以外なら、共演のマーク・ラファロの方が出演していた『死ぬまでにしたい10のこと』なんてどうか。あれは、まだ若い母親が、死を前にして、思い悩む映画。成熟した女が演じると、また違ったテイストになるかもしれないが、主演作では、死ぬような役にめぐりあえない彼女には、一度は演じてみる価値のある役ではないだろうか。
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