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[コメント] ピーター・パン(2003/米)

アミューズメント・パークのように巧みにデコレートされた賽の河原こそが、ネバーランドである。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







星空を越え、銀河を超えた遥かな地平にあるらしいネバーランド。だが、この映画に描かれた「理想郷」であるべきこの国は、自分には無限地獄であるように見えた。そこに住む者たちは不老不死を享受し、欲望のままに生きることを許されている。

だがここで、遊び回っている住人の中核をなすピーター・パンの手下どもは、みな現実世界において親から引き離された浮浪児たちなのである。だからピーターを始めとする子供たちが、大人びて親たちの愛を一身に受けて育ったウエンディにねだるのは決して対等な愛ではなく、母親として寝物語を語ってくれることなのだ。ピーターには親しい娘(?)であるティンカー・ベルがいることから、この物語ではここに愛の三角関係が描かれているように誤解されがちだが、何、子供たちの幼い嫉妬に過ぎない。

ピーターの宿敵であるフック船長も、ここでは三途の川の鬼でしかない。一度はピーターたちの手によって敗北をなめ、ワニの餌と成り果ててしまっているが、彼らがいなくなれば子供らが退屈に陥ることは判りきっている。やがてフックたちは蘇ってくるのだろう、彼らは子供らの想像力の産物であるのだから。その証拠に、彼らの残酷行為は子供らの考えうるレベルの残酷さであり、また人質としたウエンディに彼らが求めるのは、またしてもお伽話の語り手としての彼女なのだ。

ピーターの愛らしい一物が、ウエンディを前に勃ちあがることはおそらく一度もなかったろう。産んでくれた親を知ることもなく、手下たちのように生を受けた世界に帰っていくこともできない彼の悲劇性は、別れ際にすらウエンディに母を求める永遠の未熟さにある。皆と別れ、立ち向かう敵を失ったピーター・パンは、また孤児たちを一人ひとり集めて蘇った好敵手と戦うのだろう。その輪廻は、シーシュポスの神話にも似た悲劇である。

(付記)試写会場でジェレミー・サンプター及び主演女優ふたりが舞台挨拶したが、圧倒的にピーター役サンプターの一言ひとことに、会場の9割を占める若い婦女子の嬌声が集中していた。映画の売りとしては家族向けというより、新星サンプターのアイドル映画色が強かったようだ。それは別に構わないのだが、夢いっぱいのお子様向け映画と思って出かける親御さんは、どっちかと言えば当惑させられる出来の作品であったように思われる。

(評価:★3)

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