[コメント] みかへりの塔(1941/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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子供らの「おっかさんがきたぞーっ」の声のリレー。備品確認のシーンや、丘を駆ける場面などでの、子供の数。川での水浴びシーンでは、川原に置かれた桶の数にも驚かされる。水路を掘るシーンでの、夥しいツルハシやらスコップ。
冒頭、ご婦人たちに学園の説明をする笠智衆演じる先生は「ここは塀や垣根もありませんし、門はいつでも開いています」とその開放的な環境をアピールするが、その彼の背後を、汽車の黒々とした車体が通過する。先生の声を遮るかのような汽車の音。この瞬間、何か戦慄のようなものが走るのを感じたが、案の定、この汽車は劇中では、子供たちにとって学園の外への逃亡の希望を託されていながらも、学園と外の世間との断絶をも表わしているように見えた。
学園を卒業して就職した青年が戻って来、「立派になったなぁ」といった調子で歓迎されるが、実は、学園出身者であるという事で、職場で白い目で見られるのに耐えかねて、辞めてしまったのだった。そんな彼が、弟分らしき生徒とブランコを漕ぐ場面。二人の眼前を、あの汽車が駆け抜ける。列車が向かう「外」は、子供たちが逃げ出したがる学園よりもさらに厳しく閉鎖的な場所なのだ。彼らに逃げ場はない。
だが、そんな出戻りの彼も含めての卒園式の後のラストシーンでは、みかえりの塔をまさに見返って手を振る卒業生たちの前を、汽車が通る。その、学園の方へ見返る視線を遮るように通過する汽車は、幸福そうな卒業生たちを観客側に配置する構図によって、彼らの明るい未来を信じてみようという気持ちにさせてくれる。
線路は子供たちに、簡単にその場を逃げる気持ちを唆す存在だが、彼ら自身の手で造られた水路は、学園の外ではなく、まさに学園の方へと向かう道。水路が遂に完成したシーンでは、水の流れと、水飛沫を上げて駆ける子供たちの群れとが一体となり、歓びそのものがまっすぐに疾走するような幸福感に包まれている。
塔は、鐘の音と、その高さと白さによって、聴覚的、視覚的に学園の周囲の空間を包み込むように存在する。惜しむらくは、その鐘の音が何とも情けない音になってしまっている事。フィルムの保存状況がよくなかったのかも知れないが、そのポワーンという音には脱力してしまう。
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