[コメント] 女経(1960/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
原作は村松梢風という作家で、知らなかったんですけど、村松友視のお祖父さんなのだそうです。女で身上潰した人らしいので、実体験から生まれた話なのかもしれません。ただ、この映画では原案程度で、八住利雄オリジナルのようです。
これ、主演女優なり監督なりが決まってて3本書いたのかなぁ?まるで当て書きのように、よくはまった話を書き分けてるなあ、と思うのです。私が映画のコメントで八住利雄の名を出すのは『ノストラダムスの大予言』以来なんですが、ほんと、いろんなジャンルを書いている。 そしてこの映画は、確実に“企画物”であり、職人・八住利雄がライト感覚で書いているように思えるのです。
市川崑×山本富士子の2話目が特異な話のように見えますが、これ、『雨月物語』のパロディーだと思うんですよね。そう思うと、1話も3話も何かのパロディーみたいな話じゃない?
いや、きっとパロディーなんだよ。だって増村の1話目なんて「あややが株を買う」ってクダリがあるけど、それはストーリーに全然活かされないわけじゃないですか。つまり“伏線”じゃなくて“オチ”なんですよ。 『投資令嬢』(1961年 大映)なんて映画もあるほど、おそらく当時「女性が株式投資する」ってのがちょっとした最先端の話題(先進的な女性の象徴)だったようですが、「貧しい家出身の女性が苦労して金を稼いで家族を養う」って話が定番だった時代に「稼いだ金で株買っちゃう」ってのが笑い所だったんですよ、きっと。
でも、この3つの話、どれもこれも「女の幸せは金より愛」って超古典的な話に落ち着いちゃうんです。
この映画と同じ年、絶好調・市川崑は『ぼんち』(脚本:和田夏十)と『おとうと』(脚本:八住利雄の弟子の水木洋子)を撮っているんです。ちなみに前年は『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』、翌年は『黒い十人の女』。それらで描かれるのはどれも“古典的”とはほど遠い女性たち(『おとうと』は一見古典的な女性に見えるかもしれませんが、宗教に頼る義母を対照的に配置して、自立する女性を描いている)。
つまりね、優秀な女性脚本家たちに比べたら、八住利雄は一世代上の男性なんですよ。だから古典的な話に落ち着いてしまう。 ま、それ故、一番先輩の吉村公三郎の3話目が一番まとまとりがいいんですがね。 それでも、「愛」をベースに、譲る女、成就する女、施す女、というバリエーションを生み出せるのはさすがですけど。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。