[コメント] アイガー・サンクション(1975/米)
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命の恩人でもある友を殺した二人の犯人を内残り一人を見つけて制裁する為に、その人間が参加しているという国際登山隊に参加する、というのはいいとして、その隊内部から犯人を捜す行為がまるで描かれていないという致命的な一点が、「要はイーストウッドが山に登ってみたかっただけなんでしょ?」というツッコミを許す。
登山隊が岩壁にしがみついているのを望遠鏡で見るジョージ・ケネディにジャーナリストと思しき女が「男性にとって登山とは、征服欲でしょうか、劣等感の裏返しでしょうか」、ケネディ答えて曰く「男と寝てみりゃいいよ。参考になるから」。思えば、彼がイーストウッドと練習がてら登った岩は、その形状がかなり男根的。登りきったイーストウッドにケネディは「処女を征服したな」。冒頭シークェンスでの講義シーンで、イーストウッドの前に座る女学生は本に「先生は登山が好き。私にも登ってくれないかしら?」と落書き。そして、当のイーストウッドもまた、登山隊の一人の男の妻が自分を誘ってきたのに対し、彼女の亭主が高齢にもかかわらず参加したのは「君に若い男を寄せつけない為だ。もう一度男に戻りたいんだよ」。虚を衝かれて、「かわいそう」と呟く妻。
イーストウッドが二人の美女と寝るシーンはいずれも、任務や、見えざる敵との死闘と表裏一体。登山と「Sanction」は、脚本上はおざなりな結びつきしかないが、テーマ的には密接だと言える。つまり、男としての面子や矜持。だが、イーストウッドは結局、三度目のアイガー挑戦も失敗に終わり、実は標的であったケネディを最後は信じて自分のロープを切り、彼からのロープに身を委ねることで命を存える。ロープをサスペンス的小道具として捉える意味では、登山シークェンス中、寝ている間にロープがナイフで切断されるのを見るシーンがあったが、その種のシーンはあと幾つか用意されていてもよかった気がする。
その一方、登山隊の仲間を三人とも失ってしまった大失態に対し、ボスである「ドラゴン」(セイヤー・デイヴィッド)は「犯人が分かんないから全員殺っちゃうなんて見事だねアハハ」とご満悦。このボスは、光に弱いので、暗い場所に閉じこもっているような、およそ行動とは無縁な存在。マッチョイズム炸裂する映画のようでいて、やはりそれを脱構築するというイーストウッド的思想はここでも健在。
面白いのは、ゲイの男に対する制裁が、ナイフの一突きなり一発の銃弾なりではなく、砂漠に放置しての「勝手に死にさらせ」というやり方なこと。それと、イーストウッドが美術教師兼収集家なのは、「眺めるだけ」の立場という点で、「ドラゴン」や、望遠鏡係(笑)としてのケネディとのアナロジーなのかもしれない。アイガー登山が観光客にとって、ホテルから眺める命がけの見世物になっている点など、「ドラゴン」に金で雇われるイーストウッドの立場とリンクする。ケネディも、望遠鏡を覗いていたら、金持ち風の夫婦から、覗かせてくれ、金をやるから、と声をかけられていた。
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