[コメント] ぼくセザール 10歳半 1m39cm(2003/仏)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
コレ、アメリカでやったら「メキシコにドラッグを買いに行くヒッピー」の話になっちゃうのでしょうか?コレ、韓国でやったら「朝鮮民主主義人民共和国に亡命したお父さんを探しに行く」話になっちゃうのでしょうか?(不謹慎
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上映前、劇場で『アメリ』のサントラが流れていたので「なぜ?」と思ったのだが、映画が始まってすぐ、「コレはもしやヤン・ティルセン?」と思い納得。家に帰って調べてみれば全然違う人と言う間抜けなオチ。そんな事はどうでも良いのだけど、この音楽は中々上手く機能していたと思います。
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セザール・プチ、10歳半、身長1m39cm。子ども扱いされるのが嫌いな、ちょっと太めのガキの一人称視点で描かれる、「小さな冒険」。徹底した一人称視点で描かれるのはどこにでもある日常の愚痴。但し、その愚痴に嫌悪感を抱かせずに、上手い事恐らく見ている観客なんて殆どオトナだと思うので)「共感」というよりも「懐かしさ」を感じさせる。外国の映画なのに感じるこの懐かしさ、と言うのは小学校と言う世界は、万国共通のルールに支配された空間なんだな、とふと思った。良くも悪くも。
ロンドンに行くまでの過程は中々面白かったのだけど、ロンドンに話が移って以降は、少々物語が駆け足になった、と言うか単調な冒険に溺れてしまった、と言うか。確かにここでセザールがロンドンに行かなければ話しの展開はなくなってしまうのだけど、もっと身近な所で話を広げて欲しかった、と言うか。
正直、ロンドンまで行くと話が広がりすぎて、セザール達の肉体的にもそうだし、精神的とも、社会的とも言える「小ささ」が強調される。それはこの作品のキモなので別に構わないし、その「小ささ」があるからこそこの映画は成り立っている。
だが反面で、小さい故に何かに頼らなければいけない必然性が産まれてしまい、その結果、安易な「サポーター=パブ?のバイリンガルのゴス系オバサン」を設定してしまう結果となり、そしてラストにどうしても半ばご都合主義的な物を感じてしまう事になってしまうのではないかと思う。
ラスト、両親たちが駅で待っている修羅場に遭遇する3人。セザールのナレーション曰く「彼女が居なければこの場にけが人が出ただろう」との事。コメディのオチとしては別に構わないのだけど、ここまで彼女に頼りきって良いのだろうか、と。いや、それが「10歳半のリアル」だから仕方が無いといえば仕方が無いのだけど。
どちらにせよ、コレだけナレーションを多用されながらも、好感を抱いてしまうのは、やはり作り手の巧みさの賜物であり、上手いと思う(いやホント、一歩下がって冷静になってみれば「タダの生意気なガキ」でしかないのだけど/笑)。
ただ、いくらセザール・プチ君がシニカルな視点から物を見ているガキだとしても、ラストのナレーションでアイデンティティみたいな所まで触れるのは、何となく違和感を感じたかな・・・
何はともあれ、エンドマークの「fin」マークが非常に心地よい快作。
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どうでもいいけど、セザール君は色々劣等感を感じている様子だが、彼、可愛いよね。まぁソレこそ他者から見た評価で、本人は真剣に悩んでいるのかもしれないけど。
いや、でも可愛いよ。あの歳であれだけのビッチぶりを発揮するファムファタールの彼女はもったいない!(誰?
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