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[コメント] 都会のアリス(1974/独)

やはり映画において複数の人物が同一の所作を演じることは美しく、また胸を締めつける。リュディガー・フォグラーイエラ・ロットレンダーがともに証明写真機の前で笑顔を作ること。車を降りて体操をすること。海に浸かって罵りあうこと。列車の窓から外を見やること。
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むろん、たとえば「同一の所作」に美が宿ること(美を感じること)から「映画」の秘める全体主義的な傾向を指摘してみせることも可能だが、少なくともこの『都会のアリス』は全体主義的なセンチメンタリズムなどとはきわめて縁遠い映画だろう。

私たちは誰ひとり同じ「痛み」を共有することなどできないし、私たちが信じ込もうとしている「人との繋がり」など捏造されたものに過ぎない。『都会のアリス』はその現実から目を背けない。まったくの偶然によって出会い、そしていずれ別れるフォグラーとロットレンダーの「同一の所作」が感動的なのは、それがその厳しい現実認識の上に成り立ったかりそめの所作であるからだ。

あるいはヴェンダースの映画が心を打つのは、そこにどうすることもできない〈距離〉が顕れているからだとも云えるだろう。それはフォグラーとロットレンダーの間の〈距離〉でもあるけれども、それ以上にヴェンダースと「被写体」との〈距離〉であり、ヴェンダースと「映画」の、ヴェンダースと「アメリカ」の〈距離〉である。そして、その〈距離〉はヴェンダースが選択して取ってみせたものではなく、そのようにしか取れないものとしてある。だからヴェンダースの映画にあるのは〈距離〉のセンチメンタリズムだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ゑぎ[*]

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