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[コメント] ネバーランド(2004/英=米)

前半はかなり退屈な出来だが、蓄積されていった感情が後半で活かされていく。映画からの、演劇の「貧しさ」への讃歌。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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バリの、死んだ兄の格好をして母の前に現れた時に初めて自分を見てもらえたという「子ども時代の終焉」や、ピーターが、母シルヴィアがただの風邪だと嘘をついていた父の死によって、絵空事への冷淡な態度を持った事、シルヴィアの死、バリと妻メアリーとの別離など、常に「喪失」と表裏を成す空想世界。メアリーは最後に、「あの人たちが居なければこの作品は無かった」と、シルヴィアらデイヴィス家との交際を許すような言葉をかけて去るが、ネバーランドは、そうした喪失という現実と引き換えに見出される。冒頭の失敗した劇の後でバリが声をかけられた老夫婦が居たが、『ピーター・パン』上演後に再び老婦人からの挨拶を受けた際には、彼女の夫も亡くなっているのだ。

全てを映像にしてしまえる映画とは異なる、演劇の、眼前に居る観客の信じる心と想像力を頼みにせざるを得ない「貧しさ」。だがそれだけに、観客が、目に見えない世界を見ようとする意志を刺激する。豪華な劇場での『ピーター・パン』上演後の、デイヴィス家に於ける、凝った装置も無い慎ましい劇の方が、却って本来の劇であるように思える。ピーター・パンを演じるケリー・マクドナルドの、純粋さに輝く表情。眼前に繰り広げられるネバーランドに足を踏み入れるシルヴィアのショットは、そのまま彼女の入った墓のショットへと結ばれる。

ピーターに向かってバリが「君の中に大人を見たよ」と告げる台詞と、「貴方がピーター・パンのモデルね」と声をかけられたピーターが「いいえ、ピーター・パンは彼です」とバリを指す台詞は、大人と子どもの間には越えられない壁があるわけではなく、全て心の中でひとつになっている事を示し、喪失と引き換えの成長という物語に、「回復」という要素を加えている。それは「想像すれば、ネバーランドでいつでもお母さんに会える」とピーターに告げるバリの言葉が端的に語っている。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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