[コメント] カナリア(2004/日)
塩田明彦がカルト教団の存在に何の関心もないことは明白なのだから、その描き方を批判する気はない。光一(石田法嗣)と由希(谷村美月)を、自分は火の粉のかからぬ対岸から眺めるような狡さに作者自身が気づいていないとことの方が問題だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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監督であり脚本も書いた塩田明彦は、かつてのオウム真理教をささえた信者と同世代である。センセーショナルな事件を起こしたカルト教団に興味を持たない分けはないだろう。しかし、彼は教団を生んだ社会や、それを支えた人間にはまったく関心がなさそうだ。別にそれなら、それでかまわないのだが。
しかし、塩田がこの作品で描こうとした少年や少女達の生きにくさという問題に、上辺をなぞっただけのカルト信者を利用するのはずるい。塩田は信者達と同世代であるとともに、光一や由希の親の世代でもあるはずだ。自身のポジションを投影した光一の母・道子(甲田益也子)もまた、親からの抑圧を受け道を見失った被害者として描いてしまった。
あろうことか、伊沢(西島秀俊)に「自分は自分だ。それを忘れずに生きろ」などという意味のセリフを吐かせてしまう。私には、悩み考えあぐねた末かどうかは知らぬが(悩んだ痕跡は作中に見当たらないのだが)、大人として、親としての責任を回避したあげく、塩田の思考が停止しているようにしか見えない。
『月光の囁き』や『害虫』がそうであったように、今回もまた興味深い同時代的な題材を映画に持ちこみながら、妙に上手い画面づくりと構成で予定調和へと物語を導く。映画を撮るにあたって塩田の頭の中には、まず結末が浮かんでおり、それに向かって物語を組み立てているだけではないのかと疑ってしまう。
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