[コメント] 香港国際警察 NEW POLICE STORY(2004/香港=中国)
なってしまった、というところが本音で、見る側は当初、この映画がこれおほどまでにスケールが大きく、これほどまでに世情を写し、これほどまでに奥深い作品に仕上がっていることを全く予測できなかったであろう。
この映画に小さく小さく描かれていて、謙虚に表現されているシーンに深く共鳴する。
ひとつは”貧富”の問題だろう。
香港に限らず、中国社会主義は既に市場化が進み、言わずと知れた貧富が極端に生まれる社会になっている。その社会で生み出される犯罪に、苦し紛れに窃盗をした親の子供が刑事になる、というきっかけにジャッキーが使われているというラストは泣かせる。ジャッキー自身がかつての貧しさや苦しみを映画の世界で超越した。そしてそのことを後世に伝えようとした、そんな意思が強く表れたシーンである。このラストがあって、この映画はかつてのジャッキー作品から大きくステップアップした上質なものになっている。
反面、豊かさはこの映画の犯罪者達そのものでもある。親の言いなりになって勉強することだけを強要され、そのストレスから社会がゲーム化されてゆくことを良しとする子供達のお話。この映画の中心はここである。
何が恐ろしいか?
映画そのものがゲームのようなものだからである。
思えばかつてのジャッキー映画は、非日常であり、非人間的なシーンが多く、正にゲームのようなものだ。そんなジャッキー映画の中から生まれたこの犯罪者達は、もしかしたらジャッキーそのものが生み出したものかもしれない。そんな危機感あふれる映画となっている。
レゴブロックの中で対決するシーンは圧巻だ。レゴは子供達にとっては夢のような世界である。その夢を壊すようなシーンが連続する。これはジャッキーが、自分のかつての作品群を自己否定しているようにも思える。
この映画の最後で、刑事役の三船敏郎と犯人役の木村功が凄まじいばかりの戦いを演じる。この映画の中では明と暗、善と悪が明確に対比されているが、途中掲示役の三船が強く印象に残るセリフを残している。 「この犯人はオレ自身かもしれない。戦争で食うもんもなくて、いつ犯罪を犯してもおかしくない状況だった」
今回のジャッキーの映画はこれである。 中国(香港)社会はいつの間にか裕福な社会になったかわりに、『野良犬』の三船が語るセリフと同じ、誰が犯罪者になってもおかしくない社会になってしまった。
貧しくても刑事になり、裕福でも犯罪を犯す。(しかもこの犯罪者の親が警察権力だったりする)この対比を見事に整理させた作品として素晴らしい仕上がりになっていると思う。
貧しい生まれの刑事をジャッキーが引き上げる。「悪を憎まずだ」というセリフには本当に泣けた。ジャッキーの人柄でないとこんなセリフはダサくなるものだ。ジャッキーだからこそいえるセリフだし、ジャッキーだから許されるセリフでもある。
最高傑作!
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