[コメント] 真夜中の弥次さん喜多さん(2005/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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気の効いたギャグはあちこちに散りばめられている。いきなりロックとバイクで飛び出してゆく冒頭シーンから始まって、「笑いの宿」「歌の宿」などの奇ッ怪な宿場町、数々の冗談ナンバー、果てはあの世の一種の精神的地獄まで。だが、それらがしりあがり寿の頭脳から借りてきたものだと想定すると、宮藤の作りえた「映画ならではのギャグ」のパーセンテージは一体どのくらいのものだったのか、と少々不安になってしまう。
ましてテーマは、それらの奥に隠された「リヤルと幻想、生と死」である。しかしそれらは映画においてはごく軽妙に表現されているのはいいのだが、決着がついていない。ヤク中で関所通りを断られた喜多さんがその後安直に許されてしまうことは許せても、喜多さんに殺されてしまった弥次さんが、「女房殺しを犯して、惚れた喜多さんと旅に出てしまった過去」にもかかわらず、変わり果てた姿の女房に助けられてこの世に戻ってくるあたりは、予定調和とはいえ腹が立った。そしてヤク中の喜多さんはどうなったのか?お伊勢さんは求められた「リヤル」を与えてくれたのか?映画はそれには全く触れず、ホモダチである二人が気持ちよく旅を続けてゆくシーンで終わっているのだが、エンドマークをそこに置くことには全く不満である。旅が終わっていないなら、この映画にハッピーエンディングを求めること自体が無理ではないか。それこそ、おおいに影響を受けているに違いない『真夜中のカーボーイ』に負けず劣らずの、陰鬱な結末の可能性を匂わせてもよかったのではないか。それくらいは漫画よりのアレンジの一例としても許されるべきものだと思うのだが。
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