[コメント] ミリオンダラー・ベイビー(2004/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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出演作であるか監督作であるかを問わずクリント・イーストウッドの作品では、常に法(国家)や時の経過などによる解決を期待せず、自らが手を下すという結論をとる。自分を取り巻く状況は自分で解決するセルフヘルプの原則。
恣意的な判断はいつでも暴走する危険性を孕む。また、法の意味を無効にしてしまうという意味でも、セルフヘルプという価値観は到底受け入れ難い。人間性を善なるものとして完全に信頼することのできない私は、おそらくイーストウッドとは正反対の立場にある。
しかし、それでもイーストウッドが信頼できるのは、作品中手をくだす主人公たちは苦々しげにそれをおこなうところ。建前では最終手段と言いながら、真っ先に嬉々としてアジア諸国を荒らすアメリカ国家とは、そこが異なる。
アメリカ国内における貧困の問題は深刻だ。プアホワイトであるマギーの家族が不幸なのは、惨めな生活状態にあるからではなく、「与えられること」しか知らないからだ(一方的に「与えられること」の象徴としてのディズニーランド)。生まれつき心を完全に蝕まれてしまった彼らが今後選べる選択肢は、あまりにも少ない。
一方で、そこから自力で這い上がり、「与えること」を知ったマギー。「与えること」のかけがえのなさを知った後で、改めて「与えられること」はどれだけいとおしく感じられることか。個人的な立場として尊厳死はよほどのことがない限り安易に認められるべきではないと考えているが、それでもあのときマギーは惜しみなく「与えられて」この世を去ったのだと感じさせた。
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