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[コメント] ハムレット(1964/露)

オーソン・ウェルズ『マクベス』の正統な後継作で重厚の極致、シェースクピア悲劇映画の極北だろう。質量とも『蜘蛛巣城』を圧倒しており、クロサワが巨大予算がないと映画撮らなくなったのはコージンツェフへの嫉妬からではないだろうか。ショスタコーヴィッチが箆棒に格好いい。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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風吹く夜、馬小屋の馬をキャメラはアップで捉える。先王のワイドスクリーン狭しとやたら靡くマント。この幽霊との対面のあとの夜明けの雲が箆棒に美しい。海を臨む城はたぶんこの映画のために建てたのだろう。王を挑発する演劇「ねずみ取り」も海を背景に演じられる(王は立ち上がり拍手して逃げ出し、大混乱になる)。

「生きすべきか死ぬべきか」も独白されるのもこの場所。死は眠りに過ぎない、苦しみは消える、眠ってどんな夢を見る? それだけが気がかり。未知の国に行くのが不安であると怯えさせる。ハムレットにとって生と死は均等ではない。死ぬ決意だけが吟味されている。ピエロのダンスしているオフィーリアにも子供など産むな、尼寺へ行けと怒鳴る。

オフェーリアのアナスタシア・ヴェルチンスカヤはもっと登場してほしかった。ピエロに合わせて『花嫁人形』みたいなダンスを習っているのは操り人形の造形に沿ったものだが可愛い。狂って♪我が身ひとつの遣る瀬無さ、♪可愛い私のコマドリ、と唄い、最後は水路を流れず池に浮かんでいる。カモメが一羽、空を飛ぶ。これがとてもいいショットだった。彼女の父は中村雁治郎みたいだ。

旅芸人たちも魅力的で、もっと観たかった。こういう小出し感が二時間半を長く感じさせない。彼等を見てハムレットは俺も実人生で芝居しようと思ったに違いない、と感得させられるのが演劇の妙である。

登場人物は何度も影に隠れる。ここでもオフィーリアは王と父に観察されながらハムレットと話す。彼女の父はハムレットの母と諮ってカーテンの影に隠れて話を聞き、ハムレットに刺される。ハムレット自身も母に見えない幻覚を見ている。彼は先王にずっと見られているのだった。映画はこれを狂気の叫びで観客に晒している。

短尺であることを除けば、本作の弱点はラストが弱いことだろう(しかしハムレット葬送の仰角ショットは素晴らしい)が、この全員全滅は原作も弱いから仕方ないと割り切っている風だ。むしろクライマックスはその前の墓堀の件で、ここに生きるべきか死ぬべきかの応答が集中して描かれている。自分の子守のサレコウベが掘り出され、アレクサンダーもシーザーも土壁になるとハムレットは達観する。そのとき、自殺なので聖地に埋葬されないオフィーリアの棺が、ハムレットの傍らに実に無骨に投げ出されるのだった。

「葬式饅頭を婚礼に使ったのさ」みたいなシェークスピアらしい機知の冴えは数が抑えられており、これも軽妙でなく重厚を志向した作劇の一環なのだろう。冒頭と収束、重厚な鳥瞰の海の波と城の影の前後に、城の岩壁を横に舐めるショットがあり、これはタルコフスキーも多用したものだった。ソ連映画伝統の方法なんだろうか。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH ぽんしゅう[*]

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