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[コメント] 生きものの記録(1955/日)

別名は『親父の異常な世界での正常な愛情 または親父は如何にして心配するのを止めず核を恐れるようになったか』だろう。スタンリー・キューブリックは見事この映画の主題のパロディで成功したわけだが、この映画は発想源にとどまっていない。体験者と使用者の違いは鮮明で豪快。…そして早坂文雄の遺作となった音楽がそれを静かに捲し立てる。
ジャイアント白田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







はじめに、当たり前だが、この映画の答えは「逃げる」ではない。映画の役割は感情の喚起を促す事である。映画が全てを解決できないし、映画によって世界が変わることなどない。解決するのは見ていた一人一人と言うことを忘れないでラストを、思いだし、見て感想を書いて欲しいと思う。映画人の燃える炎のうだる熱さ、作者の伝えたいことをプラスに感じよう。

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見方を変えれば落語の噺になるところを、噺と物語の両方の性質を持たせることに尽力した三船敏郎の老人が光り、絶倫=核とし、核のパワーを他にすべき事柄に流用することを勧める黒澤が可愛らしくも思う。

アメリカ大統領、ストレンジラブ博士、マンドレイク大佐の三役を全映画人生を賭けて演じたピータ・セラーズ。そして日本人、一人の人間、経営者、父親の四役を言われるがままに演じた三船敏郎。好みは分かれるだろうが、見ていて、両者とも役者冥利に尽きる役を貰っていて、正直羨ましい気持ちを抱く。

で、間違い無しに『生きものの記録』が次にバトンを手渡したのが『博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』だ。キューブリックは捻りをいれて、後者の利を活かし押しも押されぬ名作に成長した。

(何手、何百手、何千手の先まで読んでいても、“チェスの坂田三吉”ことキューブリックの脳内チェスにおいても導き出される終末は、絶望と希望の9:1だったのだろう。結末は「ショック療法を兼ねて両者とも悲劇に描いている」のがミソだと言える。)

映画内では子供に財産が手渡ったのかはっきりしないが、そのかわりに“はっきりと”見ている者にバトンがキューブリック以外にも何万、何億の人の手に手渡ったと願いたい。また、そのバトンが途切れない事を祈る。

この、核の噺は落ちていないのだから。

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[追記]

核保有国の言いなりに世界が動き、核保有国の核ボタン一つで一瞬で全世界が焦土にされて全人類が死ぬことの恐怖。それに対して、唯一の核投下で甚大な被害を被った日本が「止めろ!」を言わないといけないのに、戦後復興の為に言えない言わない日本の実社会状況。

これほどの絶対恐怖が大気中に渦巻くのに平穏無事に暮らしているかのような、異常な世界に一人正常であるが故に異常と診断され精神病棟に押し込められるという展開。

世界を凍り付かせた冷戦の核開発競争の産物“核兵器”、親の財産という言うなれば“家庭の核爆弾”の二つの核を橋本忍、小国英雄、黒澤明が脚本上で巧い具合にミックスさせて、その映像で庶民に核の恐怖をリアルに感じさせようとした試みは実に勇気のあることだと思う。そこに勇気を勢いに添加し、映画としての作品を仕上げてしまった黒沢は凄い。

また、黒澤明を評するときに使われる文章である「男女の恋愛を描くのが不得意のようだ」を一蹴する映像が所狭しと、この作品に存在している。男女の愛の二者間での愛よりも大きく、結局は男女の愛も含んでいる家族愛や人類愛を描くことを終生選び貫いた黒澤パワーが、ガンガンにガイガーカウンター(またはシンチレーションカウンター)が振り切れるかのように感じられた。

見終わって改めて思った。言葉を訴え続けていく行為から核を黙らせるパワーが産まれるのだと。

2003/1/30

(評価:★4)

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