[コメント] DEAR WENDY ディア・ウェンディ(2005/デンマーク=仏=独=英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ラース・フォン・トリアーという人間が、昔から食わず嫌いだった。彼が世に送り出す悲劇を目の当たりにする勇気が無かった。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も『ドッグヴィル』も未見。しかし、その世界に足を踏み入れたい自分がいたことも事実。好きになれそうな予感もした。そこで、その第一歩として彼が脚本を手掛けた作品から観てみようということで、早速劇場鑑賞することに。
この作品の重要なキーワードは「銃社会」でも「平和主義」でもなく、「人間の破綻」だと思う。最初にディックがウェンディに抱く印象からして、既に破綻を招いているとしか思えない。鑑賞する自分は、のっけから面食らってしまう形になった。この作品は銃に魅了された人間が、その銃の美しさを「平和主義」という破れたオブラートで包んだだけの作品なんじゃないだろうか。
ダンディーズのメンバーじゃないと主張しながらも、その魅了に取り付かれていたセバスチャンの行く末は分かり易い例えだろう。彼はダンディーズに疑問を抱きながらも、ディックのウェンディに対する愛情を貫くことを助けた。過去に殺人を犯しながらも、その世界に再度取り付かれたセバスチャンは、一番スクリーン越しに眺める自分と近い距離に存在していた人間だった。
銃が世界を破綻させようとしている事実は、既に分かりきったこと。命を落とす人間もいれば、銃に恩恵を被る人間だっているはずだ。肝心なのは、全て人間の本能が生み出したことだろう。
それまで作品の象徴として流されていたゾンビーズの曲を一切排除し、ダンディーズが重い重い弾丸と共に散っていくシーン。正直言って涙が込み上がってきた。その一撃で倒れる者、撃たれても撃たれても起き上がろうとする者。その一瞬に、何を悟ったのだろう。
「武器」の概念を揺るがしてくれた作品だったことに間違いは無い。
最後に、自分はちょっとだけラース・フォン・トリアーのことが好きになれたかもしれない。トマス・ヴィンダーベアはフォン・トリアーの脚本を異なる観点から描き出したようだが、その緻密且つ、問題提起の手法には目を見張るものがある。
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