[コメント] エリ・エリ・レマ・サバクタニ(2005/日)
聴覚と視覚の乖離。映画の限界?あるいは、それを乗り越えようとする挑戦か。
人は音を聞くとき、純粋に音だけで知覚しているわけではないだろう。音がすれば、その方向に視線を向けるし、コップが落ちるとき、それが割れる音を予測し身構えるし、ピアニストの指の動きから、響き出すメロディをより良く理解する。日常では無意識に行われているこれらの眼と耳との協働。
従来の映画は、これらの協働が阻害されないよう細心の注意を以て、映像と音をシンクロさせる。しかし、ここでは明確に両者が分離されている。「明確に」といっても、音と映像が全く無関係というわけではない。むしろ、明らかに関連づけられうる。それにもかかわらず/それゆえに、両者のズレは明確になる。しかも、そのような場面は偏執狂的に延々と流され、その違和感を押しつけてくる。
映画が現実の視覚的・聴覚的部分を完全に再現できないという限界を突きつけつつ、その限界においてこそ、映画の可能性が見つけられ得るかのように。
物語はこの映画を作るための足場に過ぎず、この映画自体はあくまでもその限界を問題化することであるかのように。
映像と音、それぞれを照らし出すことによって、両者の間にある深淵の闇をより濃くするかのように。
そして、この「…ように」という言葉が、この映画の宙吊りの性格を表している。
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