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[コメント] 二十四時間の情事(1959/仏)

それでもいまいち納得できないことについて、だらだらと。(レビューは冒頭からラストについて言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







根本的な疑問がある。なぜ彼が「ヒロシマ」で彼女が「ヌベール」なのか。どうしてもそこがしっくりこなくて、もどかしい心地がした。確かに彼は広島に住む生活者であり、彼女の故郷はヌベールである。いや、それ以前に一人の人間をもって、一つの場所や何らかの社会現象や人間のある普遍的な感情を体現させるという手法は、他の作品や他の媒体でもとられていることは確かだ。

それでも違和感が残る。いくら記号化、象徴化をしても一人の人間の姿をもって、それを体現させないだけの重力を広島には感じる。私は、はだしのゲンを「ヒロシマ」と思ったことはないし、『仁義なき戦い』の菅原文太演じる広能や他のヤクザたちを「ヒロシマ」と思ったことはない。だから、男が「ヒロシマ」ではないと思った途端、女が私にとってまったく見知らぬ土地「ヌベール」ではないことが皮膚感覚で伝わってくる。

冒頭であの衝撃的な広島の姿を映してしまった以上、どうしてもその後の男女の睦み合いがそらぞらしくも見えた。ストーリーをこの女の主観に着陸させてよいものか、少し苛立った。

とはいえ、一人の人間の記憶と広島の被爆者及びその家族の記憶、そしてこの町の記憶、いずれかが重くいずれかが軽いといった問題ではない、他方でそのように理性で了解しようとしている。だから私の言っていることも、足元がふらつき、いまいち安定感を得ない。

僅かにわかることといえば、作品世界内でゲンも広能も、そしてこの男も「ヒロシマ」に生きる生活者であることだ。それは、彼らが「原爆」という亡霊を後ろに漂わせることも意味する。男のどこか愁いを帯びた瞳が私の頭の中に残像として留まった。ただ単に広島をラブストーリーのダシに使ったわけではない。そのあたりの表現の誠実さは受け取れた。

実は単に言葉尻を追っかけて揚げ足をとっただけなのかもしれないし、この作品が及ぼす影響圏のどこかに触れたのかもしれない。無知な私にはそこがいまいちよくわかっていない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)水那岐[*]

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