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[コメント] ミュンヘン(2005/米)

「殺しという行為は、とやかく言う以前に、つまるところ肉体の損壊なんです」と割り切った上で、「ほら、ここをこうやって壊すとびっくりでしょ」と宣うアルトラ放出の病的なキレと、空中分解する説教のいびつなギャップ。制度化された永遠の殺し合いは、告発の対象ではなく、確かにおいしい題材であるだろう。端的に、延々と殺しまくれるからだ。「怒り」よりも、「趣味嗜好」。血に酔うにはシリアス題材選択の動機が不純過ぎる。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







何より「怒り」が必要なのですが、流血に怒りを感じられません。怒りさえあれば180度違って見えるのですが。クール演出が裏目です。

一応自制してるつもりらしい編集や脚本が悲惨。徒労感を演出しようとしているのかもしれませんが、ウキウキなゴアだけがブツ切れカッティングのおかげで断片的に脳裏に焼き付けられ、しかも快感が先行するという惨状。全くの無駄骨です。心を失う過程に説得力が感じられません。こうなることは分かってるはずのお話だったはずでしょう。言い訳に過ぎないのでしょう。

「キッチンが広すぎて・・・」の隠喩や、殺し合いを制度化する「神の庭」の描写。「食事」とはつまるところ「血」を食べることだ。「食卓」には「血」を調達しなければならない。カギカッコ内のワードには、いろいろな意味があります。このへんは割と好物。ただ、それも上っ面らしいことが透けて見えるのでいらだたしい。

私は血の映画を否定しません。むしろ好物です。でも、血の映画でありながら撮り手が血に酔っていることを隠したり、もっともらしい顔をして説教しようとする態度には憤りを感じます。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)おーい粗茶[*] ぽんしゅう[*]

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