[コメント] ブロークン・フラワーズ(2005/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『ブロークン・フラワーズ』はまず「息子探し」という主題を堂々と掲げている点で私たちを驚かせる。それは云うまでもなく、ジャームッシュは今まで自分の映画から「家族」や「血縁者」を周到に排除してきたからだ(私の記憶が確かならば、今までジャームッシュ作品に登場した「血縁者」は『パーマネント・バケーション』のクリス・パーカーとその母、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のジョン・ルーリーとエスター・バリントとセシリア・スターク、『ミステリー・トレイン』のスティーヴ・ブシェミとエリザベス・ブラッコ、『デッドマン』のロバート・ミッチャムとガブリエル・バーンだけだったはずです。『コーヒー&シガレッツ』だけは例外で、双子や姉弟、いとこなどが大勢出てきます。これは興味深いですね。なぜ『コーヒー&シガレッツ』に限って多数の「血縁者」が現れるのか、これはもっと語られてもよい問題なのかもしれません)。
しかし一見ジャームッシュらしからぬ主題を掲げたこの映画は、やはり紛れもなくジャームッシュの映画である。なぜか。それはこの映画が「大いなる無駄話」として語られているからであろう。ジャームッシュ作品の魅力のひとつは『パーマネント・バケーション』での「ドップラー効果」の話や『ミステリー・トレイン』での『宇宙家族ロビンソン』の話といった、物語の本筋に貢献しない「無駄話」の存在であった。これまでは映画をかたちづくるひとつのピースに過ぎなかったその無駄話を一篇の映画全体にまで押し拡げ、「俺に息子がいるっていう謎の手紙が来たからさ、心当たりをさんざん探り回ってみたんだけど結局分からずじまい。かと思ったら最後の最後に息子らしき奴が車で通りかかったんだけど、あれって一体なんだったの?」という畸形の落語のような大いなる無駄話として語られた『ブロークン・フラワーズ』は、だからとてつもなく魅力的な正真正銘の「ジャームッシュの映画」なのである。
私たちはこの無駄話から無限の意味を読み取ることができる。それはひとえにジャームッシュが豊かな細部を構築しているからなのだが、豊かな細部とは物語の経済からすればまさに無駄なものに過ぎない。ジャームッシュにおいて「無駄な」という形容詞は「豊かな」と同義である。だからジャームッシュの映画は面白いのだ。
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