[コメント] 晩春(1949/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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戦後の小津調と言われた作品群の出発点である『晩春』は、今後小津安二郎が作り出していく作品の中で重要な映画である。家族の別離に瀕し、その個人(父、母、子供)達がどのように感じ生きていくかをリアルに捉えたものである。
小津調の一定のリズムは、ストーリーを見せるのではなく、ストーリの中で起こる登場人物の反応であるが為に、役者に対しての徹底的な演技指導が重要となってくる。 小津自身も「表情が100%出せても、性格表現はできない。極端にいえば、むしろ表情は性格表現の邪魔になる。いかにして、おさえにおさえて性格を表現するか・・これが監督の仕事なんだ。」と語っている。 この作品で見られる原節子の演技は凄い。確かに凄いが小津調の中では不協和音となっている。この原の演技によってストーリーが近親相姦ぽい設定に変わっていってしまっている気がする。 母を亡くした父と子が生活していく事は、かなりつらい筈である。その死を乗り切る為に、父と子は二人で強くなっていっただろうし、その事を考えれば親子の絆は一層強くなったはすである。特に父が子にもつ愛は絶対的なものである為に、子は安心し安らかに成長していく。
父が娘の結婚を心配し嘘までついて娘を結婚させようとする様は絶対的な愛である。その絶対的な愛から別離しなければならない娘は苦痛である事は納得がいく。 そして父である笠智衆のセリフへと繋がっていく。
『秋日和』は非常に音楽の使い方が素晴らしいが、この「晩春」は音楽の使い方が雑であるという欠点も咎めたい。
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