[コメント] 麦秋(1951/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
この映画が映画館の大画面で圧倒するのは原節子さんの素晴らしい、圧倒的な笑顔ですね。この素晴らしい笑顔に圧倒されました。
あらすじはともかく、この映画を現代、つまり21世紀に鑑賞するのはとても辛いものがあります。それは、あまりにも家族の在り方が違うからですね。
小さい少年が反抗的であるのは今も昔も変わりありませんが、その大家族の風景に、現代では実践できない人間関係の機微がぎっしり詰まっていますね。
家族の中心で医者の兄(笠智衆)とその妻(三宅邦子)そしてこの親である老夫婦と、妹(原節子)などなど、同じ家屋にたくさんの人が集まって笑い怒り泣き、これはどんな家庭にもあるドラマですね。
この小さい少年二人にとって、親や叔母、祖父祖母は逃げ場所なんです。だから安心して見ることができる。
それがどうでしょう。
『誰も知らない』が今の原風景。
これほどの隔世の念を覚えながら、現代の希薄になった人間関係を改めて実感することができました。
それにしても冒頭のお話に戻りましが、原節子さんの笑顔は圧倒的です。
彼女の友人役として登場する淡島千景さんも素晴らしい。
それぞれの人生を堪能している風景は、今思えばあっけらかんとしてるようですが、余力を失った今から見ても、とてもうらやましい関係がしました。
その原節子さんが、この映画で唯一悲しげな表情をするシーンがありますね。
会社ですすめられた婚約者を断って、近所で妻を失った子持ちの男と結婚することを決意します。
彼女はこの映画でずっと素晴らしい笑顔を振りまきますが、結婚のことで唯一家族からバッシングされてしまいます。そして泣く。
その決断の理由をずっと明かさず、兄嫁と海岸を歩きながらぽつんと「40歳まで独身の男性より、苦労をしている男性がいいのよ」と告白するんですね。
このいたいけな感情を、現代のわれわれは自然に受け入れることができません。打算で生きる人間が多い世の中で、苦労している人についてゆこうという姿勢は、日本がぎりぎりで残した美学だったのかもしれませんね。
この映画の5年ほど前、原節子さんは黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』という映画に出て、死んだ夫を思いながらバッシングされて農家で働く強い女性を演じています。
そして、この映画のあと、日本映画を代表する『東京物語』に出演し、亡くなった夫の親を面倒見る健気な女性を演じています。
原節子さんというと、ばったり芸能界から去ってしまった女性でもあるのですが、彼女が時代の変化とともに、こうした古い時代の女性像を背負って、その印象が失われないうちに、みずからのイメージを守ったと考えれば、このころに作られた映画の意味もよく理解できるようなきがするんですね。
映画のファーストシーンで犬が一匹海岸をとぼとぼ歩きます。
そして家の中でカナリアが籠の中でさえずります。
このカナリアのさえずりが、この映画の原節子さの印象をより強く象徴しているようにも思いました。
2010/03/13 自宅
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