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[コメント] 早春(1956/日)

こういう映画を日本国民は揃って映画館に見に行っていた時代があったんですねえ。微笑ましい姿だと思いませんか。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最近どういうわけか小津安二郎監督の作品を追いかけていまして、かつて何度か名画座などで見ていた作品をDVDで再確認しているんですね。

でもやはりこういう映画をもう一度映画館で見てみたいと感じさせる深みがこの映画にもありました。

場所は東京。

まだ会社がアットホームだった頃。もっと言うと、学校の延長のようなスタイルがまだまだサラリーマン社会にあった頃のお話ですね。

でもすでに、この映画の中のサラリーマンは希望を失っていて、反面まだ戦争の名残もあったりして、そういう狭間の中でサラリーマンとして生きてゆくか、それとも脱サラするかというせめぎあいの中でこのお話は展開します。

家庭では、かつて子供がいたけども、幼い頃に失ってしまった倦怠期に入った夫婦と、夫の浮気をからめて複雑に展開します。

まあ小津安二郎作品ですから、彼のスタイルを大幅に崩す終わり方はしませんが、それでもかつて彼が作り上げてきたほのぼの感はこの映画では薄れていて、会社の同僚が突然亡くなったり、急に地方に転勤を命じられたり、かなりシビアな話が続きます。

この変遷はやはり淡島千影さんの見事な演技に代表されています。

かつて彼女は小津作品で比較的明るくて若々しい女性、そして奔放なイメージの妻などを演じてきました。麦秋お茶漬けの味がそうですね。しかしこの作品で、こうした奔放なイメージは、新進岸恵子に譲って、むしろかつて原節子が演じたような落ち着いた規律重視型の女性を演じています。

こうした変化は、淡島千影さんが、というよりも、やはり小津安二郎監督の巧妙な演出と脚本によるもので、時代が刻々と変化する様を丁寧に描いているということだと思います。

とはいえ、冒頭のタイトルからエンディングまで、小津作品であることを疑わせる作風はどこにもなくて、やや暗い題材でありながたツーツイレロレロなどの時代歌やマージャンの風景などを織り込みながら徹底して時代の風俗を描こうとしていますよね。

ほかでも同じことを書きましたがウッディ・アレンの作品にも同じイメージを最近抱いています。

それは小津作品と同じく、タイトルからエンディングまでの語り口。この語り口を微動だにしない作風というのは大御所でないと味わえない魅力だと思いますね。

すばらしい映画でした。

2010/03/27 自宅

(評価:★5)

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