[コメント] お早よう(1959/日)
黒澤明にしろ、小津安二郎にしろ、溝口健二にしろ、カラー作品はイマイチな印象があります。時代の変遷期における戸惑いや焦燥感が微々たるものであっても感じられる微妙なものが多い。けれども今作はカラー作品特有の、時代の変遷を上手く利用した数少ない成功例ではないでしょうか。少なくとも私はもう顔が始終緩みっぱなしで、この多幸感にいつまでも包まれていたい気分です。
同じ年制作の『浮草』とは対照的に、非常に小津らしく、このニュートラルな目線が心地よい。このニュートラルっぷりが、激動の時代にも流される事なく独自のスタイルを貫き通せた要因なのかも知れません。より入り組み、奥行きを増したフレームを行き来する人々を見るだけで嬉々としてしまいました。
実のところ、引き戸が押し戸に変わっていただけで私はものすごくビックリしたんです。あー!ドアが前後している!!ってビクっとしたんです。それに笠智衆が家に帰ってきても浴衣に着替えない事にも驚いた。けれどもこれはこれで昭和30年代の正しい日本の家族なんだろう。紀子三部作が戦後まもなくの正しい日本の家族の姿であるように。
このようにその時代の正しい日本の家族をニュートラルな目線で描く小津ははやり日本の映画監督の最高峰だと思う。そして彼の作品は時が経つにつれ、その貴重度を増していくのではないかと思います。
また、以前『茶の味』で小津の映画には無駄が一切ないと書いた事があるのですが、奇しくもこの作品ではその"無駄"を描いている事に驚きました。モノクロ時代の映画には無駄がなかった。本当になかった。(挨拶を無駄というなら、それは存在していたけれども)そしてまた奇しくも、小津生誕100年の年に公開された『茶の味』は無駄しかなかった。そしてこの『お早よう』は日本に無駄が出始めた頃の作品なのだ。テレビを非難している訳ではないし、もちろん無駄がいけないと言っている訳でもありませんが、これは明らかに無駄誕生の物語。私はその誕生シーンのみを丁寧に描いたこの作品がとても好きです。
恐らくこの作品は私の両親の幼い頃ド直球の作品だと思う。そうして、その彼らには幼い頃ド直球の作品がある事がとても羨ましい。単なる回顧主義のようにも思えるかも知れませんが、自分にはそのような作品は多分、ない。だからとても羨ましい。
そして、これからの日本映画界に小津のような監督が出てきて欲しいと切に思う。石井克人監督や是枝裕和監督にはこれからも良い映画をどんどん撮ってほしいと思います。
まだ小津カラー作品を全て見ていませんが、カラー作品の中ではこれが一番になりそうな予感。人にも薦めやすい。
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09.07.07記(09.07.07DVD鑑賞)
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