[コメント] ハチミツとクローバー(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ごめんなさい。いきなりしょうもないダジャレから入りました。 しかもあんまり意味はありません。でもせっかくなので、なんでこの言葉を書いてしまったのかを突き止めようと思います。
恋がテーマの少女マンガはたくさんある(ていうかそれそのもの)。そしてこの原作は「登場人物全員が片想い」なんだそうだ。映画化されるってことで、原作も少し読んでみた。わかっていたけど、私には向かんかった。なにしろ、「片想い=美しい」「片想い=けなげ」「片想い=切ない」という思考がないからだ。はっきり言ってしまうと、私にとって「片想い」とは「=究極の自己満足」なのである。それは、よく知りもしない相手を「○○さんはこういう人」という自分勝手な人物像を作り出し、「恋」と称して、なかば犯罪的な気持ちの押し付けをしてしまう行為である。そこには「片想い=けなげ」という肩書きをフルに使い、どう考えても迷惑で失礼な行為がまかり通ってしまう(通してしまう)傍若無人さがある。たとえば口もまともに聞いた事のない他人の通学路や家の近所で待ち伏せしたり後をつけたり、穴が開くほど見つめたり、友人と遠巻きにコソコソチラチラ見たりうわさしたりすることなど、された人間にとってみたら「肩、重い」どころか「気が重い」だけだ。(お、意外とうまくまとまったかな) こんなことのどこが「けなげ」なのか。他人の性格を自分の都合よく創造して「好きだ。でも○○だから、気持ちは伝えられない。でも好きなんだ・・」という思考こそ、精神的○ナニー以外のなにものでもないとしか考えられない寂しい人間にとって、この「登場人物全員が片想い」という設定は到底受け入れられないのだ。(嫁入り前の身で○ナニーとか言っちゃった自分も受け入れられない)
じゃあ何故観たのか。それは「もしかして、桜井翔君や蒼井優ちゃんの魅力でヒネくれた私の『片想い拒絶反応』が治るかもしれない。」と思ったからです。いわゆるショック療法です。
そして治ったのか。
ある意味、治った。というよりは、「この映画はアリだ」という結論です。みんな真面目に生きてんだなあ、と少なくとも思ったし、「片想いって本気で辛いこともあるんだ」と思えたから。(そうです。ほとんどは「辛いのもイイ」とか自己満するもんなんだ片想いって、って思ってたんです)そりゃあ好きな子が才能も男っぷりも自分は絶対敵わないと思ってる男とキスしてるシーンなんかみたら辛いよな。そんなことは「胸キュン」メーター振り切ってるよな。自分も片想いだから、相手の片想いも痛いほどわかっちゃうとか、ほんとイタチゴッコもいいとこだよな。(イタチどころかイタイよな。・・・・・・・ごめんって。)
まとまらなくなってきたので、むりやり締めようと思います。
私が何故「片想い拒絶反応」を起こすかというと、「昔どうしようもない少女マンガ世界傾倒者で犯罪的に他人に想いを寄せて自己満足していた女」だからです。そして「告って見事に散っていた」からです。もっというと、「フラレた後も『フラレても関係ないの。ずっと好きなの!(ていうか楽しいし!)』としつこく片想いを続けていたら、相談相手の女の子が、片想いの子にいつのまにか告っていて、その二人が付き合っていた」という救いようの無いオチを経験しているからです。その時に知りました。「片想い」とはなんて自分勝手で自分本位で自己満足な行為だったのかと。ただ自分の気持ちよさのために、なんて周りが見えてなかったのかと。自分の勝手さと愚かさが身にしみたのです。だから私は「片想い=最も美しい恋愛」説は信じられないのです。
まあそれはそれとして、この映画は楽しめました。特にキャスティングの勝ちです。
(07/4 DVD)
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