[コメント] 紙屋悦子の青春(2006/日)
この感動はいったい何なのだろう。私は何に感動しているのであろうか?
冒頭の老夫婦。そしてその回想シーン。回想の中に生まれる、ある九州の家族。その言葉、そしてかすかにほのめく戦時中の実態。
兄と嫁と、兄の妹がおりなす家族の会話。この会話には音楽もなければ虚飾もない。ただただその当時を思い起こさせる平凡な会話とシーンが延々とワンカットで表現される。このワンカットの長さを感じさせない長さとうつろいに感動。
こうしてみると、昨今の映画の何たる語り口の貧しさ。悲しいシーンに悲しい音楽。勇ましいシーンに勇ましい音楽。そしてうるさいほどの躍動感。
この映画には音楽などほとんど必要とされず、その風景と会話と、遠くに聞こえる静かな外の空気。波の音。
これが映画というものだろう。
悦子が泣くシーンでもなく、この映画全体に胸を打たれる自分が嬉しい。
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