[コメント] 太陽(2005/露=伊=仏=スイス)
歴史を「歴史」として認定することは難しい。その時代の勝者が歴史を認定していくのは世の常であろう。それに加えて「新たに」発掘される資料によって「歴史感」は変遷していく。
だが、問題なのは「歴史のタブー」である。英雄が英雄であるが為には触れてはいけない闇がある。各国にも存在するタブー、もちろん我が国日本では「昭和天皇」その人である。
そのタブーは年々崩れつつある。もはや昭和天皇の戦争責任を論ずる事はタブーではなくなった。わずか20年前には考えられなかった状況が今や平然とTV番組で語られている。読売新聞でさえ戦争を検証する中で「統帥権」を取り上げ、天皇の側近を実名にて糾弾するようになった。つまり未だ遠慮気味ではあるが天皇の戦争責任を検証し始めている。あと20年もすればそれは揺るぎのない歴史として認定されてしまうだろう。
そしてさらに20年も経過した戦後100年を迎える21世紀中頃にはどうだろう。昭和天皇の「行動」による責任からさらに踏み込んだタブーが語られているような気がする。それは「人物」だと思う。「資質」ではなく「能力」。統治者としての適格性があったのかなかったのか・・・
それは現在ではまったくのタブー。現在も皇室を仰ぐ日本人としては絶対に触れてはならないタブー。そんな遠い未来の日本で起こりうる論争を軽く題材にしてしまった本作。
日本人としては消化不良というよりも、消化したくなかった問題をいとも簡単に作品にしてしまった事に対する苛立ちと羨望が渦巻く作品。外国目線の冷徹な映像が日本人観客の肝を潰すが、如何せん時期が早過ぎて日本の観客は見て見ない振りをするしかないのです。「責任」を問うような作品は今後、中国やら韓国が量産してくるのでしょうが、本作は「その先」の「能力」まで描いてしまったのです。
よって現代の日本に住む私としては批評不可能な昭和天皇像でした。(逃げです)
だから本作を「苦悩する男の物語」として単純に見る事にします。するとどうでしょう?男の心の葛藤は上手に演出されていたでしょうか?名人芸ともいうべき物真似芸に全神経を使ったような演技に翻弄され、徐々に変化していくべき筈の演技・演出はあったでしょうか?昭和天皇を知っている日本人観客こそ、その物真似芸に面白さを発見する喜びはありましたが、海外の観客にはただのパラノイアのマッドサイエンティストにしか映らなかったのではと心配してしまいます。
確かに映像は綺麗です。B29のような魚の編隊も綺麗でした。ただ、はっきり言いましょう、退屈な演出の連続に2時間もの間、飽きませんでしたか?・・映画として・・・
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