[コメント] カニバイシュ(1988/ポルトガル=仏=伊=スイス)
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狂言回しが居り、狂言(こっけい劇)なのだと分かりはするものの話は意外とシリアスに進む。そして子爵の「謎」が明らかになるシーン(機械人間だったのだ!)。 ―その時、私の両隣に座った人たち(学生)は失笑した。私は絶叫するヒロイン・マルガリータを真剣に見つめていた。
そして・・・ここから物語がメチャクチャになって来る。館内も。
知らずにではあったが、人間を食してしまう貴族たち。―「ちょっと奇妙な味で」で、場内は爆笑。 人を喰ってしまった事よりも、その遺産相続が気になる人たち。―「そうだ。金が入るぞ」でまたしても場内笑い。 やがて登場人物たちは欲の感情のみになって、動物・獣になっていく。その怖さ、おぞましさ。―しかし場内はゲラゲラ。
最後はただ一人残った神父までが獣に。このシーンは本国で物議をかもしただろうなと要らぬ心配をする私。―一方場内は、フムフム、ゲラゲラ。 そして、ラスト。死人も生き返って皆が手をつないで庭を踊り回るのだ。こりゃあ何だ?!ここに至って、私も場内と一緒に失笑した。
作品製作年は'88年。そして今は2010年。20年以上たった日本で、この作品は笑いで迎えられたのだ。鑑賞後の拍手もあった。
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人間は一皮向けば機械である、獣である、を戯画にしたこの作品(「軽々とその線を越えた」パンフのコピー)に対しての正常な反応はやはり笑いなのかもしれない? が私はすごく嫌悪感を持ったし、おぞましさを感じた。場内の人たちの反応にも。
「嫌悪感」の反対は、ある意味で「慣れ」ではないかと思う。場内の人たちは「慣れ」てしまっているのではないか?−昨今の何でもあり、で。
人間が機械になる、人間が獣になる。
人間の尊厳はどこへ行った、などと声を荒げるつもりもないが、人間らしさがなくなって来たと言われ続けて、久しい。最近は本当に“なくなってしまった”のではないか?
作品も、場内もぞっとする映画鑑賞だった。2点。
PS.最後の疑問。ラストの踊りは何だろう?作者80歳−この歳に、関係があるのかないのか分からないが、森羅万象を見て来た結果“皆で一緒に楽しく”という意であれば、嬉しいね。+1点=3点。
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