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[コメント] 硫黄島からの手紙(2006/米)

命を無駄にするな。命を有益に使って、生きろ。ではなく、命を有益に使って、死ね。と言う映画。かな。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 二宮和也演じる西郷は、妻・花子(裕木奈江)のお腹の中にいる赤ん坊に向かってこう言う。「これは誰にも言うなよ。お父さんは、必ず生きて帰ってくるからな」。つまり、戦地に赴く兵隊として、「必ず生きて帰ってくる」と思っていた人物である。この描写だけだと、妻への優しさから言っているだけ、本当は覚悟ができている(人物)、という可能性もあるように見える。でも戦地での描写と合わせれば、彼は本心からそのように考えている人物(として設定されている)なのだ。これは、この映画に登場するほかの日本兵とは相当違っている。一線を画していると言ってもいい。ほかの日本兵は、西郷に調子を合わせているように見えた奴らでも、いざとなると、実にあっさり(と言ってもいいぐらいに)覚悟を決めて、自決する。なにか「死」というものを最後の崇高な砦とでも思い定めるのか、逃げ込むようにそこへ飛び込んでいく。機雷を抱えて一人洞窟を出て、戦死者の間に横たわって米軍の戦車に踏まれて死ぬ(敵も殺す)ことを求め、一晩を寝て過ごした伊藤大尉(中村獅童)なんて描写もあった。彼らにとって「死」は、この島の悲惨な境遇を耐え抜くよすがのようなものであるといった描写なのだろうか。最高指揮官である栗林中将(渡辺謙)から玉砕は戒められているにも関わらず、もう駄目だと思うと、最期まで戦うという任務を放棄して(と描かれているように思う訳だが)、さっさと死んでしまうのだ。

 明らかなのは、栗林自身も部下の死を慚愧しない。「無駄死にはするな」と言うが、それは「生き延びろ」という意味ではない。「有益に死ね」と言っているのだ。将校と兵士の食事を同等にするなど「当時の帝国軍人には珍しいほど思いやりある人物」的に、かつアメリカ文化に接した体験などからも「当時の帝国軍人には貴重なぐらい合理的に考える人物」的に描かれていたが、それでもそうなのだ。それが、祖国・本土の防衛に少しでも役立つと思っているのだろう。仮に日本が負けたとしても、自分たちの戦いぶりは後世に語り継がれると思っているのだ(そういう台詞があった)。僕も語り継いでいきたいと思った。後で調べたが、栗林の遺体は発見されていないらしい。映画に則して言えば、西郷は上手に埋めたのだ。手紙たちもある意味、後年発見されるよう上手に埋めたのだと言える。埋め上手・西郷。

 栗林が自決に使った拳銃を、米兵が戦利品のように所持しているのを見た西郷は、逆上する。自分を取り囲む十数人の米兵らにスコップ1本で襲いかかる。何があっても必ず生きて帰ると決意していた西郷だが、最後は命を省みずに戦ったことになる。簡単に射殺されたとしてもまったくおかしくなかった。だってそれが戦場だ。でも、まあ、なんというか、人間てそういう部分あるよな。そんなふうに思わされた作品です。

80/100(23/2/25BS見、劇場公開時以来)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 緑雨[*]

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