[コメント] 武士の一分(2006/日)
山田洋次も年老いて、描く目的のために物語を捻じ曲げていることに気がつけなくなってしまったのだろう。
描くテーマがはっきりしているのはいいが、そのために、状況の自然さが失われていることに気づいていない。願わくば映画というものは、自然に見える状況を積み重ねて、自ずとテーマが見えてくるようにしていただきたいものだ。
木村が毒にあたるシーン。前のお膳を倒して床に手をついた彼に、同僚たちがどうした、と声を掛けると、彼は「大丈夫でがんす」と答える(その後、起き上がろうとしてもう一度ぶっ倒れるのであるが)。これは、「自分の体のことを心配していただいてあり難いが、たいしたことはないので大丈夫である」という意味だ。むろん、もともと体調が著しく悪くて、このような行動を取ってしまったけれども、特に毒にあたったとかそういう意味ではないので、心配はいりませんよ、という状況であれば、このような受け答えもありうる。だが実際に毒にあたったわけであるから、まさに「たいしたこと」なのであって、彼の職責からいって、まずこの食事を殿様へ出さないよう進言する必要がある。そのための毒見役なのだから。はっきり言って、こんなシーンはまったく不自然だ。なんで己の体調のことなんかが話題にされてると思うのだろう?
この映画を名作と思う人がいるのが不思議で仕方がない。
60/100(08/02/17記)
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