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[コメント] 武士の一分(2006/日)

この話で「武士の一分」とは大仰では? まあいいけど。でも2時間じっくり情を掘り下げて描くよりも、「盲剣士の果し合い」に「ちょっと泣かせる夫婦の話もあってさ」くらいの小品のほうがよかったな。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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お役目上の事故で将来の希望を失った上に、そこにつけこまれて妻まで嬲り者にされた男の怒りはよくわかる。武士の一分においてそれを許さないという決意も納得できる。

しかし、冷静に事実を追ってみると、まず、失明をしたのは不慮の事故であり、誰かの策略ではない。妻が騙されたと言っても、無理強いされたわけでなく(無理強いでないところが本当は悪質ではあるが)、自発的にその道を選んだと言うことは否定できず、軽率な行為と言われればそれもしょうがないかも知れない。世間的にはそう言う意見も出るものだ。ましてや妻の密通を知らなかったのは己の不徳だろうし、この時代の常識では仕方ないとはいえ、妻にとっては気の毒この上ない離縁という決意も男が自分で下したものだ。妻が哀れであるという感情の責任の一端は自分にもあるだろう。まあ、相手を憎んで果し合いをしたいというのもわからなくはないが、端的に言って、この男の怒りは、「武士の一分」を持ち出すほどのものでなく、よくあるような話のように思うのだ。

「こればっかりは武士の一分で譲れません」という男の本音には、「百姓の子供相手に町道場でもやったほうがマシ」というくらい無為な日々を送っていた者が、求めていた武士道を見出すことができた「救い」もあったのではないか? 「武士の一分」を持ち出すまでもないところにでも、「一分」を求めざるを得ない、という、そういうところも描いてくれればよかったのにと思う。というか描いているのかな? なんか、男の心情の描写があまりにセンチメンタルでよくわからない。

いずれにしても、この物語、描かれているようには「よい人情話」ではない、という印象だ。男の心情は、掘り下げるだけほころびが出てくるという気がする。妻のほうがよほど「武士の妻の一分」であるよ。

盲目の剣士が見事に仇を討つ「ちょっといい剣豪伝」プラス「ちょっと泣かせる夫婦愛」くらいのスタンスで丁度よいと思った。

(評価:★3)

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