[コメント] スミス都へ行く(1939/米)
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大して政治に精通しているワケでもなく、当然策を講じるほどの頭も持ち合わせてないので、大事なトコロでは秘書に操られっぱなし。政治家に向いてるなんて、現実的に考えれば誰も思わないだろう。素晴らしい弁舌と手腕を披露することもない彼は、最後の最後まで道化だった。せいぜい子供たちのヒーローが関の山である。
でも除けることを知らず、ただ前に進むことしかできないこのドン・キホーテは、様々な波紋を人々に残して去っていく。大抵は迷惑がられておしまいだが、稀に自分の心の中にも、忘れ去られた小さなドン・キホーテが眠っていることに気付く人もいる。これがこの映画のささやかな希望なのだと思う。
別に正義の下に汚職を暴いたからといって、スミスのような政治家の登場が希望なのではない。「良心」とか「理想」というものが笑い話にしかならない世知辛い世の中においてもなお、ホコリを被りながらもまだ心の片隅にそれらがひっそりと存在しているとすれば。何もないところからは何も始まらないけど、少なくともそうではないというささやかな希望。
ゆえにスミスが失神してペインの心が動いた時点で映画が終わったのは、全くもって正解。その後を描いたら、きっとスミスはヒーロー扱いされるに違いないだろう。となると、ちょっと主旨が違ってくる。
言ってみればスミスというキャラは「理想」や「良心」の具現化したもの。今の世の中においてはもう、笑われてナンボの存在のハズなのに、それがいきなりヒーローとしてまかり通ってしまったら、胡散臭いただの夢物語になってしまう。考えてみればただ一人(ペイン)の心を動かしただけの話。笑われ者にもわずかな力は残されている、その程度で話を終わらせているトコロに、作り手側の信頼すべき良心があるように思える。
ともあれラストのスミスの24時間耐久演説。その執念には素直に拍手を贈りたいと思う。でも結局のトコロ、本当に人の心を打つ言葉を披露してくれたのは、リンカーン記念堂でのクラリッサ。どーのこーの言っても、やっぱ彼女なしではやってけないだろうな。
(2002/12/1 再見)
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