[コメント] スミス都へ行く(1939/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ペイン議員の方にシンパシー感じる(「おやまあ、お気の毒」)し(汚れた大人だから) だから、最後にペイン議員がとった行動にしても、「ココでこの人が、もし、こうやらなかったら、映画として(大団円として)終わることが出来ないっつーのは問題なんじゃない?」と素直に思ってしまうし。
「主役じゃないヒトの行動で、映画の終わりが来るのは卑怯ねえ」とか単純に思ってしまう(汚れた以下同文だから) もちろん、ソレはスミス自身の行動(演説)が(結果的に)ペイン議員に引き金を引かせたという事になるなんだろうけど、勿論それだってスミス自身、「ペイン議員を改心させたい」くらいは思っただろうが、「自殺に追い込みたい」とまでは思っていなかったハズ。
「自分でも結末がどうなるかワカラナイけれど、とりあえず、やってみる」くらいの(どちらかと言えば愚直な)行動だったはずだ。 それが、ペイン議員ひとりの改心で逆転するという構図。 「ペイン議員がもしかしたらこの映画の主役?」と思ってしまう。
しかし、それくらい(改心)では「主役度」が足りない。 是非ともココは「ペイン改心す」というタイトルで、「実はワタシはオマエの父を撃った一味だったのだ!」とか「実はオマエの父はワタシだ」とか、そーいう大逆転がもひとつ欲しい所である(<バカモノ)
え〜〜っと、だから、何を言いたかったんだっけ? あ、そうそう。 感動したのは少年達がバッグを贈るシーン。 友だちのおじいさまが、長年、無医村で一人で医療活動をしてきた医者であるが、村の人たちがバッグを贈ってくれた事があった。 ソノ話を思い出して涙(そのバッグも何十年も使い込んで、留め具が壊れたので、おじいさまは荒縄でバッグのフタを結んで自転車で患者宅を巡回していた)
きっとスミスも「留め具が壊れたら荒縄で結ぶ派」だろう。 「ヒトはそれぞれが違う。育った環境も、暮らす町も。様々な違いと多様性を許容する社会こそが民主主義である」 このスミスの言葉には純粋に打たれた。 「多様性の許容こそが民主主義」そうだ、そうなんだよ。 (陥落したバグダッドの映像を見ながら)
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