[コメント] どろろ(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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影光が魔と契約を交わすシーンで彼は、主君が不甲斐ない為に「このままでは醍醐の血筋が絶える」と言って力を求めていた。血筋の継承にこだわりながらも、魔との交換条件として、妻・百合の腹に宿る子の体を差し出す事に同意するという矛盾。つまり、血筋という意味ではまた次の子を作れるという事であり、実際、百合との間には、百鬼丸の弟にあたる息子が生まれる。やがて生まれるべき血を分けた息子の為に、血を分けた息子を犠牲にするという、分裂した行為。
百鬼丸の後に生まれた子に与えられた名「多宝丸」(「百鬼丸」とは実に対称的な字面)は、本来は百鬼丸に与えられる筈だった名であり、百合は多宝丸の名を呼びながらも、目の前にいる子に呼びかけているのか、それとも、体を失って生まれ、彼女の手で川に流した子に呼びかけているのか、分からないでいた。五体満足に生まれた多宝丸は、父からは世継ぎとして、つまりは子として認められているが、母からは半ば、兄の身代わりのようにしか見られていなかったのだ。
このように見てくると、身も心も引き裂かれ、アイデンティティー・クライシスを抱えた人物は、百鬼丸だけではない。彼の家族も三人ともそうなのだ。最後に父と対決した百鬼丸が、魔との契約の徴である父の額の傷と同じ、×印の刀傷を受けるという事もまた、息子として、父の闇の部分を受け継いだという事なのだろう。その一方、父と理想の国を築く事を願っていた多宝丸は、父から継いだ地位を、兄に譲る事を申し出る。こうして物語は、血による分割と継承というテーマで完結する。
だが百鬼丸は、親から与えられた名を喪失している者同士として、名無しの泥棒少年と、「百鬼丸」「どろろ」という名を分かち合ってもいた。これは元々どちらも、数ある百鬼丸の呼び名であったのだが、泥棒少年が「どろろ」の名をもらうと勝手に宣言した時、当の少年によって、名無しの青年も、唯一の名としての「百鬼丸」を得る。母の遺言によって、女としての性を封印しているどろろもまた、親によってアイデンティティーが引き裂かれた存在。二人は、百鬼丸の父がどろろの父の仇だった、という事実の発覚によって、一緒にいる事を一度は断念するが、最後には再び合流し、いつか百鬼丸が残る半分の肉体を取り戻し、どろろも女の性を取り戻す事への希望を感じさせながら終わる。この映画が、長い修復の劇だった事が感じられる。
血の因縁という点では、途中の妖怪退治シークェンスで登場した捨て子の霊も、テーマ的な要請から現れたものだと理解できる。正直、この霊のマンガチックな造形は、ふざけているのか真面目にやりたいのかよく分からないのだが。この霊は、寺に捨てられた子らの霊の集合体なのだが、その子らを密かに喰らっていた妖怪もまた、自分の子を育てる為にしていた。城の地下で百鬼丸とどろろが見つける『エイリアン』の卵のような繭。とは言え土屋アンナ演じる妖怪が、『エイリアン2』的な異形の母性を感じさせるでもなく終わるのは片手落ちに思える。村人たちが彼女の生んだ幼虫を殺す場面には、それはそれで残酷さが漂っていても良さそうなものなのだが。勿論これは演出のせいであり、土屋の演技は悪くない。
演出と言えば、全篇に渡って肉やら血やらが盛り沢山な割には、画面からは生臭い臭気がまるで感じられないのはどうした事か。尤も、演出がまるで駄目な事は、冒頭の寺のシーンでの、影丸を取り囲む魔神の像に不気味さも迫力も何も無い時点で分かってしまった事なのだが。百鬼丸の義体の素材が、原作での木と焼き物から、死んだ子らの肉体に変更されたのもテーマに沿っての事なのだろうが、映像の面では、表面的な所だけは『フランケンシュタイン』(ケネス・ブラナー監督)風だが、あの映画の特殊メイクには感じられた「痛み」が、この映画には殆ど皆無。序盤のラテンなノリ(?)のダンス・シーンも、何だか取って付けたような唐突さがある。演出がはじけていない。
観る前には最も不安を感じていた柴咲コウだが、威勢のいい熱演により、本来は無理がある配役も力業で納得させられた。その演技は、単純かつ率直な感情表現の正面勝負を畳みかけるスタイルを意識的に採っている印象で、それが功を奏していた。あの、小太鼓を叩きながら調子よく台詞を繰り出す演技が嫌味に見えないというのは大したものだ。ただ、やはり少年役としては年齢が行きすぎている点だけは最後まで違和感は残るが、それは彼女の能力外(つまりは責任外)の事。
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