[コメント] 恐怖のメロディ(1971/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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ドナ・ミルズの家で繰り広げられるラスト・シークェンス、イーストウッドは電気スタンドをつけようとするのだが、ジェシカ・ウォルターによってその電球は外されている。これは「この映画は『闇』の映画である」ということの監督本人による明示とも見ることができるが、今となっては「私は『闇』の映画を撮り続けていくのだ」というイーストウッドの宣言のように思える。それにしてもこの闇はどのように作り出しているのだろうか。照明だけであの暗さ・色調が生み出せるのか、それともフィルタ処理か何かを施しているのか、プリントの焼き方なども大きく関係しているのか、私には残念ながらそういった技術的な事柄は分からないのだけれども、とにかくあの闇はイーストウッドとブルース・サーティースの発明だと云っても過言ではないのではないだろうか。
ミルズとのラヴシーンやモンタレー・ジャズ・フェスティバルのシーンは冗長の謗りを受けかねないが、これらのシーンでしっかりと昼の光が捉えられているからこそ、惨劇の舞台となる空間の闇が活きてくる。その程度のことをイーストウッドが計算していないわけがない。
ところで、ストーカー女にさんざん手こずりながら最終的には鉄拳一撃で撃退、というか殺害。といったように、行動においては常に明快な解決を与えるところにイーストウッドの由緒正しいB級性が認められるのだが、そのような行動における解決が必ずしも心理における解決とはなりえないという点はすぐれて現代的であると云えよう(云うまでもないかもしれませんが、ここで「B級」というのは「A級より劣るもの」という意味ではなく、その本来の意味での「B級」を指しています)。
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