[コメント] ツォツィ(2005/英=南アフリカ)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
子供のころ、アパルトヘイトという言葉を聞いたとき「なんてひどいんだ」と思った。「白人が黒人を差別する制度なんて、今すぐなくなればいい」と思った。だが、そのアパルトヘイトの制度がなくなっても悲劇が終わったわけではないのだ。村上龍が小説の中で「抑圧された被支配者は同類を激しく憎む」というようなことを書いていたが、映画の中でツォツィたちのターゲットになるのが常に黒人の富裕層だったことが、現在の南アの社会を象徴しているんだろう。
“先生”と呼ばれる少年が、主人公たちに何度も問う。「おまえたちは品位を持っているか」。そして品位とは何かを問われたとき「自分自身をリスペクトすることだ」と答える。善悪が意味を為さない環境に置かれたとき、人は何を根拠に行動を起こせばいいか、その答えを映画は“品位”という言葉に求める。
印象的なシーンとして、ツォツィ少年が身障者のホームレスに対して、「犬を蹴り飛ばして背骨を折ってやった」と語る場面がある。だが実際に犬の背骨を折ったのは彼ではなかった。彼はその過酷な環境を生き抜くために、自分ではない人間の悪意を自分自身の心に借り受けて生きてきたということだ。心を封殺し“品位”を唾棄することでしか、彼は生きてこれなかったということだ。そんな少年が赤子と出会うことで失われた時間を回復し、人として再生してゆく物語の筋立ては、凡庸の一言で切り捨てることも容易い。だが、こうした困難な環境においては「凡庸であること」こそが最も得難く尊いのだということも、私たちは忘れてはならないだろう。
ツォツィ少年を演じたプレスリー・チュエニヤハエという俳優の卓越した表現力もあって、『ツォツィ』はシンプルながらとても力強い映画だったと思う。
▼映画とあまり関係のない余談
この映画の舞台となったのはソウェトと呼ばれるスラム街だが、むかしこのスラム出身で「ソウェトの薔薇」という美しいニックネームを持ったボクサーがいた。ディンガン・トベラという名のそのボクサーの試合は非常にクリーンで、まさに“品位”に溢れた戦いを見せていた。彼はそのボクシングでライト級の世界タイトルを獲得するも、3連敗を喫して表舞台から姿を消す。しかし、そんなトベラは6年の後、ウェイトを5階級も上げて再び世界スーパーミドル級のチャンピオンに返り咲いた。
彼が世界王者に復帰したとき、「つぼみを枯らさなければ、いつか必ず花は咲くのだ」と誰かが言った。この映画を観て、あの美しい薔薇のことを思い出した。
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