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[コメント] 太陽の傷(2006/日)

実態のない殺意。戯画的な物語が示唆する救いようのない現実。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 主人公の命を狙っていた少年が組み伏せられ、殴られて泣きじゃくるシーンが印象的。大人の力で意思を引き剥がされた瞬間に殺人者は消滅し、代わりに無力な子供が転がっているという図式には底知れぬ恐怖を感じた。映画の「子供が人を殺すこと」に対するひとつの視点が、このシーンに象徴されていたように思う。

 物語としては佐藤藍子演じる保護監察官の行動があまりに馬鹿馬鹿しくリアリティがないのが後半の失速につながっていると感じた。実際の保護監はあんなに簡単に更正少年の居場所を吐かないだろうし、まさか実際に引き合わせるようなこともないだろう。映画は若い保護監察官に「マジメで人道的」という設定を与え、それによって被害遺族と加害少年との再会を導いて物語を転がすが、この展開に無理が生じたために本来表現すべきだった「少年法の壁」が決して鉄壁ではなくなってしまい、やや戯画的な集束に向かってしまったように思う。

 だが、加害少年の関係者が「人道的であること」が物語の中でリアリティを持たないということはつまり、少年犯罪の被害者にとって現実がとことん「非人道的であること」を示しているわけで、この映画が内包するテーマの根深さが逆説的に露見しているとも思えた。私たちは数多の報道によって「少年犯罪の被害者は加害少年に対して手も足も出せない」ということを当たり前に理解し、納得してしまっているのだ。なぜ納得できるかと言えば現在それが私にとって対岸の火事であるからに他ならない。

 立ち返れば、すべてを失いたくなかったら、実態のない少年の悪意に人生を丸ごと破壊されたくなければ、あのホームレスを見殺しにするしかなかったのか。目の前にある人の死に背を向けて、人は自分の幸せを守ることだけに心を尽くすべきなのか。この映画が投げかけた選択は実に重く、私には今ここで正解を導き出すことができない。人の性根に迫る力作と思う。

(評価:★4)

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