[コメント] あるスキャンダルの覚え書き(2006/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
相手を自分の意のままにし、自分に都合のいいパートナーに仕立てようと目論んで他者に接近する主人公。彼女の意図がターゲット(ケイト・ブランシェット)にわかってしまったら、ターゲットはどんな反応を示すだろう? また彼女自身はどう対処するだろう? というミステリーないしサスペンスの構成をとっているが、焦点は明らかで、彼女(ジュディ・ディンチ)の癒し様のない孤独感を描くことにある。そうでなければ、複雑で入り組んだ展開だけで観客の鼻面を引き摺り回すような作品にしているはずだから。
だが、映画における人生は所詮フェイクだから致し方ないところもあるが、この孤独感、イマイチ真に迫るものがない。「バスの運転手の手が偶然触れただけで、下半身に言い様のない疼きを覚える」なんて台詞は、孤独というもののある種の様相を切り取って見事だと思ったが、単なる言葉の切片に終わってしまって、映像との有機的な関連がない。映画なのだから、こういうシーンは情景として描いて欲しいところだ。実際には、この独白に付けられていた映像は、バスタブの中に独り身を横たえるディンチ、というもの。意味するところは明白で、われわれの孤独感とは、性的な欲求不満から生じると主張することにある。
私自身は、これは人生なるものへの私の理想像ということにもなるが、孤独とはもっと深いものだと信じている。したがってこの主張には、人に接する態度のコロコロ変る登場人物達の姿と相俟って、まず人間洞察の底の浅さを感じる。同時に、人間なんてそんなものと開き直った押しつけがましさをも感じるのだ。
また、主人公バーバラには、他者との関わりの中で、そこから影響を受けて自分自身も変っていく、という部分がない。友だちのできない人間を描く映画だからそれでいいとも言えるが、なんと虚しい映画だろう。むろん人生の虚しさを描く映画はあっていいわけだが、他人事のように描くその姿勢に、この虚しさを引き受けるだけの覚悟は感じられない。
75/100(08/01/26見)
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。