[コメント] ゾディアック(2007/米)
過去に起きた「現実」を、「物語」としてではなく「現実」として突き付けること―そんな「極めつけの難業」に挑んだ傑物。
かつて、デビッド・フィンチャーが監督した「ファイト・クラブ」の原作者であるチャック・パラニュークは、後に発表した「ララバイ」でこんな事を書いています。
「ジャーナリストの仕事は、事実の評価ではない」
「ジャーナリストの仕事は、情報をふるいにかけることではない」
「ジャーナリストの仕事は、ディティールを集めることだ」
「ありのままを伝えることだ。中立の目撃者であることだ」
一言で示せば「そんなん当たり前じゃん」と思うような話かもしれませんが、これって試しにやってみるとトンでもなく難しい作業だと判ります。
この映画で言えば、主人公的な位置づけにあるグレイスミスのやっていることが「ディティールの収集」をしている、という意味では一番近い立場にいるでしょう。 その作業の没頭ぶりは、正しく「病的」「狂的」とも言えるほど。 (結果、せっかく手に入れた幸せも、家族も、丸ごと失ってしまうという皮肉が付いてきてしまうわけですが)
しかし、この映画が語らんとしているのは、「得体の知れない存在を解明しようとして破局する者たちの物語」ではないように自分は思います。
むしろこの映画は、半世紀近くも昔に起きた「現実」のことを、極力その時代の「現実」のままの状態に押し留め、今の時代に突きつけるためにあるのではないかと、そんな風に思います。
過去の出来事を「物語」としてではなく、「事実」「現実」として表現しようとしたのがこの映画「ゾディアック」であり、 そんな難業をさらっ、とこともなげにこなしてしまうデビッド・フィンチャーは、やはり只者ではないと思うのです。
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