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[コメント] アポカリプト(2006/米)

暴力の酸鼻な様は、耐え難いグロテスクさに至る寸前で抑制されているように感じる。が、それにも関らず、この映画はメル・ギブソンの、暴力の哲学を描く手腕の比類なさを示している。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







人間の頭部は、切断されても数秒は意識が持続するという。祭壇で切られた首の主観ショットという衝撃。また、滝壺に飛び込んで、水面下の石に頭を割られる瞬間や、豹が牙を剥いて噛みつこうとしてくるのを眼前に見る、といった、死と痛みと恐怖に晒される臨場感にこだわった主観ショットの数々には、観るという事の打撃、とでも呼びたい感覚に見舞われる。

だが、最も脅威を感じさせられる主観ショットは、最後に海辺でスペイン人に遭遇する場面。それまで延々と観続けて来たマヤ人達の世界とは全く異質な者達の姿からは、予言にあった「世界の終り」の黙示録的な恐怖が漂う。マヤ人達の世界そのものを覆い尽くし呑み込もうとするその脅威は、直接的な暴力よりも遥かに恐ろしい。

だが、この最終局面に至る前に、主人公ジャガー・パウは、後半で二度、生まれ変わる。

帝国の儀式の生贄として、仲間達と共に浚われてきたジャガー・パウは、その体を緑色に塗られるが、辛くも儀式を免れ、その後、追手から逃れようと滝壺に飛び込んだ時、その体を染めていた塗料が洗い流される。彼の、これが第一の変化の場面。ジャガー・パウは滝の下から、頭上の追手に向かって名乗りを上げ、この森は自分が父から受け継いだ場所であり、自分もまた子孫に受け継がせていくのだ、と宣言する。

ジャガー・パウの村を襲った帝国の脅威は、冒頭の場面で彼らが出遭った、村を壊滅された男の言葉、彼が引き連れる村人達の姿によって、予め示されていた。だがそれを目の当たりにしたジャガー・パウは父から、お前のその怖れを村に持ち込むな、と諭される。ジャガー・パウは、この自らの怖れを、滝壺への決死の跳躍によって克服したのだと言える。

追手から逃げ続けるジャガー・パウは、森の中で黒々とした底無し沼に落ちる。そして、疫病に侵された村の少女が口にしていた予言の通り、その沼から這い上がるのだが、その体は泥によって真っ黒になっている。ここから、彼の身のこなしや表情が精悍さを増す。蜂の巣を敵への爆弾として用いたり、蛙の毒を吹き矢に塗って使ったり、自らの体の泥を木に擦りつけて敵の目を引きつけたり、森という場所そのものを自らの武器とする。先に怖れを克服したジャガー・パウは、底無し沼という、森に潜む恐怖を克服する事で、森を自分の物とするのだ。

ジャガー・パウが敵のリーダーを仕留めるのは、映画の冒頭で彼が仲間と共に獲物を狩った時に用いた罠によって、だ。ここに至って、彼は村の尊厳を取り戻す事を為し得た訳だが、そこにスペイン人が到来する。追手達は、スペイン人の巨大な船に呆気にとられ、そんな彼らを後目に、ジャガー・パウは去り、妻子と共に森に帰る。スペイン人という未知の存在の到来は、マヤ人達同士の争いなど過去の瑣末事にしてしまうほどに、彼らの世界を破壊してしまうのだ。

ここで、村の老人が焚火の前で皆に話していた物語を思い返すべきだろう――或る男が、様々なものを望んで、それを生き物達から受けとるが、彼の欲望は留まる事を知らない。「大地は遂に言うだろう、‘お前に与えるものは、もう残っていない’と」。ジャガー・パウは森から得られる恩恵を手にしたが、彼らの土地に迫るスペイン人の野心が、やがてその全てを奪うであろう事は周知の史実。父祖から森を受け継いだ男の知恵と力と矜持。そして、それをも飲み込むであろう侵略者の影。

スペイン人達が上陸しようと近づいてきた海と、ジャガー・パウの村を破壊した帝国とは、森を挟む位置関係を成している。ジャガー・パウは逃げ場がないだろう。望むと望むまいとに関らず、森にしか侵略者から逃れる場所は無いだろう。その森にも、遠からず侵略者の手が迫るだろう。映画は、こうした崩壊の予兆を漂わせながらも、ジャガー・パウという一人の男の尊厳を余韻として残したまま幕を閉じる。

全編を通して、激しいバイオレンス・シーンの印象は確かに目立つが、黒豹に顔を喰いちぎられた男の顔や、帝国の男達に犯される女の姿など、更に過酷に描く事も出来る筈の暴力描写は、その恐ろしさを示す為の必要さを越えた描写は、避けられていた。この映画は(前作『パッション』がそうであったのと同じく)暴力のグロテスクさそのものを映そうとしているのではなく、それを克服する人間の意志に焦点が合わされている。

ラスト・ショットは、ジャガー・パウが妻子らと共に通った後に揺れる葉。森に残る彼らの存在の名残りによって締めるこのラスト。映画の尺の長さは単に監督の丁寧さの表れであり、実に、無駄を削ぎ落とした演出だったと言える。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)irodori[*] 山ちゃん Orpheus けにろん[*] かねぼう

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