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[コメント] 大日本人(2007/日)

映画監督松本人志の蹉跌の第一歩だったわけだが、私はあまり嫌いになれない映画だった。それにしても本当にこの人は「浅い」人だな、と思った。
イリューダ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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松本人志は「思いつき」の人だと思う。奇妙な画面、不条理なシチュエーション、そういったものを思いついたらあとは即興でそれを広げていく。言ってみれば松本のコントはそのほとんどが最初の「思いつき」に依存するもので、言わば「出落ち」のようなものだ。最初の奇抜な思いつきからあとは展開させていくだけで、そこに松本の反射神経と天才性が発揮されれば、かつての「ごっつええ感じ」の中の名作コントや「ビジュアルバム」のような傑作が生まれるわけだが、それはあくまで思いつきを説明するだけのものなので、画面に映ったものを越えるような深みは一切ない。このやり方を貫くにはさすがに2時間弱の尺は長すぎた。

落ちぶれたヒーロー、特撮世界のような非日常世界を日常に引きずり下ろす、これはかつて松本がコントで何度も取り上げてきた題材である。しかしシチュエーションの一部だけを切り取ればよかったコントと違って、これだけ長くこの世界につきあわされれば、否応なく観客は考えざるを得ない。「こんな世界がありうるだろうか?」と。

いや、もちろん「人間が巨大化する世界がありえない」とか「奇妙な怪獣もどきが現れる世界がありえない」とかそういうレベルの話ではない。日常のディテールだけは細かくリアルに描いているくせに、世界観の説明がなさすぎるのである。「獣」と呼ばれる外敵は、見た目こそ滑稽な姿ではあるが、ビルを引き抜いたり道路を破壊したりして確実に日本の日常生活に対する巨大な脅威である。なのになぜ国民はそれほど「大佐藤」の戦いに無関心でいられるのか。怪獣映画にお決まりの「逃げ惑う民衆」を全く描かないのはなにか思惑があってのことではなく、単に「そこはめんどくさいから」と省略されただけに見える。もちろん、松本は怪獣映画そのものを撮りたかったわけではなく、またそのパロディを撮りたいというほどの批評精神があったわけでもなかろう。単に「奇妙なシチュエーション」の思いつきを映像化したかっただけなのだ。そしてどういうストイックさなのかよくわからないのだが、彼はこの作品ではわかりやすい「笑い」をほとんど封印している。思いつきの「奇妙さ」だけで勝負しようとしている。だがその思いつきに2時間付き合えるほどの松本信者はさすがにそれほど多くなかったということだ。

とは言え、私は松本ファンなので、その「奇妙なシチュエーション」そのものに結構惹きつけられるものはあった。4代目大佐藤の全盛期の映像のキッチュさは、かつての「一人ごっつ」を思い出して懐かしかった。しかしその細部を偏執病的に描くほどのオタク資質も、松本にはないのだ。かつての「大佐藤グッズ」とかもっとお金をかけて本当にあったようなニセ商品を作ってくれれば、もっと愛せる作品になったろうに。

結局松本は題材を深く解釈するような作品は向かない、あくまで「思いつきと展開の人」なのだ。だからすべてが浅い。とってつけたようなラストの日米関係の風刺(?)らしきものなど 見てるこちらが赤面してしまうほどだ。それはやはり映画向きの資質とは言えないのだろう。 もちろん彼は絶対にお笑いの天才なので、私のような凡人の予想など粉砕する大傑作映画をいつか作ってくれるかもしれない。昨今なんとなくいろいろがっかりさせられることが多い松本人志だが、青春を彼の作ったコントとともに過ごした一人として、その日を待ちたいと思っている。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)DSCH 3819695[*] けにろん[*]

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