[コメント] めがね(2007/日)
感じる人は何かを感じるのかもしれない。ただ自分がこの作品から感じたのは、「自由とはかくも孤独で厄介なものなのか」ということだけであり、見終えて頭を抱えてしまった。
ところどころにコミカルな描写があったり、自分のつぶやいたセリフへの辛辣な返答があったりする。だが朝食のテーブルを囲んでいるときも、かき氷を頬張っているときもそこにあるのは沈黙だけだ。そして「先生」と呼ばれる正体不明の小林、春になるとやってくるが同じくいつもは何をしているのか判らないもたい、教師のようだが暇そうな市川、客がいなくとも、いつも宿を小奇麗に保っておける光石、小林の教え子らしい加瀬が、ただそこにいる。
彼らは揃いも揃って他人に無頓着だが、妙なところで義理堅かったりもする。そんな彼らが集う目的は一緒に「たそがれる」ためなのだ。自分はこの言葉からおよそそれへの憧れなどのポジティブな印象をもったことはなく、ただ群集のなかで自省することとしか思えないのだ。
それゆえこの映画世界を魅力的に思うことは、とても自分にはできなかった。素晴らしく美しい海と澄んだ空は誉められても。「喫茶店で2時間ダベり続ける」よりは自分には「沈黙」はたやすいが、それの何処がいいのかは理解の範囲外だ。押し黙るだけならみんなで集う必要は無いが、それを無理強いされているように感じたのだ。
こんな風に考えるのは自分の性格に欠陥があるのだろうか?でも、あの町の春に憧れることは無い自分である。ちょっとここにい続けるのは息がつまりそうだ、窮屈で。
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