[コメント] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(2007/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
これを一人で近くのシネコンのレイトショーで見た。開演10分前に席に座ると、すぐに真後ろに若いカップルが座った。
男「俺、映画なんて『パイレーツ』以来だな。ジョニー・デップってどんなんだっけ?」女「『シザーハンズ』っていうちょっと変わってたけどいい映画とか、あと『チャーリーとチョコレート工場』とか、面白かったよ」彼らは予告編の上演が始まっても小声で「あ、これ見たいね」「これはいいや」とか、楽しそうに話してました。
私は「幸せそうなのはけっこうだけど、本編がはじまったらしゃべってくれるなよ」と思ってましたが、彼らは本編がはじまるとだいたいは黙って見てました。ただ、いよいよクライマックスに入ろうかという地下室の場面あたりで「ゲー」と短く小さなうめき声が聞こえたような気はしましたが。
そして映画が終わると、そのカップルは二人とも黙りこくったまま、足早に席から離れてすたすたと出て行ってしまいました。そう思ってみると、他にも何組かいたカップルはみな黙って足早に帰って行ったように見えました。
私は心の中で、「ジョニー・デップ、あんた偉いよ、漢だよ!」と感嘆の声を上げていました。
二人で外を眺めながら、司祭は清潔だとか弁護士は最初だけうまいとか八百屋は青臭いとか歌ったり、ピクニックに出かけて海辺の暮らしを想像するシーンでは、陰鬱にうつむいてばかりのデップとヘレナ・ボナム・カーターの対比が微笑ましく、これはそういう独特なユーモアで見せる映画かと思って安心しかけたら、終盤は一気にそれをひっくり返してしまった。
まるでドストエフスキー級の一大悲劇的結末と、オーブンの扉をばたんと閉めてからのラストでは、日本の武士の切腹と介錯を連想させるような流血の美学で締めくくるとは、なかなか爽快に驚かされてしまった。
(切腹の介錯は、首の前、喉の皮一枚を残して後ろからすぱっと斬るのが正しい作法とされている。よほどの腕がないとできないことらしいが、そういう風に介錯をすると首が飛んでいくことなくころりと胸から腹の辺りへうなだれた格好で落ちて、両手を腹にもっていっているから首を抱え込んだ姿になるのがよい、とされているとか。武士の切腹とは違うけど、抱きかかえた妻の亡骸に接吻せんばかりにうなだれたような姿を見ながら、ついそんなことを思い出してしまった)
終わった後で、心底、たまらんなあ、という見応えをずしりと感じた一本でした。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。