[コメント] かぞくのひけつ(2006/日)
さも、いそうな範疇を超えずに、ほどよくデフォルメされた各登場人物のキャラクター演出が絶妙で素晴らしい。その人物たちの掛け合いが引き起こす「可笑しさ」は喜劇の王道のそれであり、今の日本映画ではほとんど観ることができない種類の正統派の「笑い」だ。
テントの怪演が醸す漢方屋の不気味な可笑しさが、この正統派喜劇と流行のCGコメディを分かつギリギリの境界線だろう。彼のような怪しさを漂わせる男は、見ようによっては現実の身の回りに確かにいる。
例えば『男はつらいよ』シリーズで、団子屋に舞い戻った寅次郎が、食卓を囲んで一家の面々と繰り広げる騒動のように、いかにも現実にありそうなリアリティを含みつつ、ほんのわずかだけ日常から遊離したやりとりが生み出す「可笑しさ」と「笑い」が、この映画にもある。
それと(私が舞台となった阪急電鉄沿線で育ったせいかもしれないが)、なんとも十三(じゅうそう)駅界隈の空気感が醸し出すリアル感が心地よかった。これもまた「男はつらいよ」シリーズの葛飾柴又に匹敵する舞台装置として機能している。かつての喜劇映画には、その舞台となる「街」が必ずと言ってよいほど準備されていたように思う。
さらに家族映画として観れば、近年の『空中庭園』、『幸福な食卓』、『酒井家のしあわせ』、『無花果の顔』の舞台がほとんど顔のない郊外の住宅街であったのとも対照的だ。どこにでも起こりうるという普遍性のために準備された表情のない土地が生むリアリティと、本作の特定された街が生むリアリティのどちらに説得力を感じるかといえば明白だろう。
それは、悲劇であろうが喜劇であろうが同じことで、かつての日本映画には土地や街を映画の活力として使いこなした作品がたくさんあったように思う。
この二つの映画的リアリティをやすやすと、使いこなしてしまう新人監督小林聖太郎の登場に、ただただ期待がふくらむばかりだ。
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