[コメント] 書を捨てよ町へ出よう(1971/日)
何も書けないことの愉しみ。人力飛行機で空を飛ぶことを夢想することの愉しみ。それを今私はレビューを書けないという悩みの中で愉しんでいる。
いくら走っても走っても、現実という地表から飛び立てるだけの風を得ることなく、僕の人力飛行機は今日まで一度も空を飛べないでいる。
この映画のレビューを書くために、実に2週間近く悩んでしまった。寺山の書を探し、なけなしの財産から選んで買い、理解できぬまま書を散文を読み進める。
そうした無駄な努力の末にわかったこと… 「書」と言うのは切り取られた情報の断片の総体を言い、「町」というのは流動しつづける情報の総体を指す。そこまでは何となくわかった。
しかし訳知り顔の、評論家気取りの、さりとて評論家にもなれない自分が、掴み所のないこの映画の何を評論できるというのだろう。
自分にとって寺山修司は飛ぶのが愉しみな大空のようなものである。そして私はその大空を飛ぶ経験を夢想することを経験した。
…つまり見た目には何もしてないのと同じ事なのである。
その姿はまるで、偉大なる夢想家であった思春期の頃の自分にも匹敵する…。
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