[コメント] の・ようなもの(1981/日)
秋吉久美子の内面はその行動を観測して推測する以外に知りようがない。そのために彼らの別れが収納できる意味合いは広漠となり、人生の予後の悪さをぼんやりと男に含ませる。
道化の内省を捕捉するために景物の情報量も私小説のように膨張し、それはいつしか絶頂に達しつつある文明そのものを体現している。男がおこなうのはその多幸感の中で青春をひっそりと終らせる対位法である。
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