コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 神様のパズル(2008/日)

抽象的な論理にダイナミズムをもたらす、市原隼人のロック節。そのミスマッチの妙が魅力的なのに、終盤は雑で安易なプロットに。宇宙といえば通常は、遥か上空を指して言及されるが、本作では地面の下に宇宙がイメージされる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







基一(市原)がバイトをする農家について、サラカが、「地面にしがみついて生きてきたんだな」「その下に広がる宇宙を認識していなければ、バーチャルにすぎない」と述べる台詞もまた、普通ならバーチャルと対比される土や手作業の方をこそバーチャルと呼ぶ、発想の逆転がある。その農家で見つかる縄文土器の渦巻きが、宇宙創成の鍵となる展開もなかなかいい。とはいえ、これがどう鍵になったのか、ろくな説明がなされないままに一気に急展開していく辺りから、プロットの雑さが顕著になるのだが。

サラカは、常にジャージ姿で、引きこもり気味の物理オタクであり、部屋は雑然としていて、一人称は「僕」。全く性的な要素が排除された生活スタイルだが、その半面、演じる谷村美月の身体性の、隠しようのないセクシュアリティ。

サラカがコンピューターの計算量を得る為に、ポルノ・サイトを開設し、そこにアクセスしてきた「ケモノたち」のパソコンを拝借しようとする行為は、彼女の性的なものへの否定的な姿勢を垣間見せる。人工授精で生まれた彼女の、「普通は、両親が愛し合ってとか言うんだろ?でも僕は買われたんだ」という、出生に関る苦悩の反映なのだろう。だが逆にその彼女自身が、裸体を盗撮されてネットに晒される。それすら逆手にとってコンピューターの計算量を得ようとするサラカも結局は、基一の前で、世間の晒しものにされる立場に傷ついた心情を吐露せざるを得ない。

だがこの二人の、友情だか恋愛だか判然としない関係が充分に納得のいく形で描かれていたようには感じられず、終盤での、突如飛び込んできた基一が、なぜか用意されているマイクを手に熱唱し、それを受けてサラカの頑なさが崩れ去るシーンは、全くご都合主義なお約束的展開としか思えない。同監督の『アンドロメディア』での、DA PUMPがいきなり歌い出したシーンと同じくらいに破綻している。基一が歌う“第九”が、ベートーヴェンの“運命”を例にサラカが宇宙創成を説明していたシーンでの、「第九の方がかっこいい」という基一の意見にサラカが賛成した台詞との繋がりで出てきたのは分かるが、これだけではやはり弱い。

そもそも終盤の展開は、それまでの、難解な理論物理を必死に丁寧に噛み砕く過程の面白さから完全に脱線している上、暴雨と暴風と激しい台詞の応酬だけが延々と続く、キレを欠いた、無駄の多い演出のせいで、興味が萎えさせられてしまう。

物質と反物質のような「ペア」がこの物語に於ける重要な概念になっているのに合わせて、主人公の基一も、自分と対照的な性格の双子の弟・喜一(どちらも「キイチ」だ)と入れ代わる形でゼミに参加。この、物理に対して「ワケわっかんねぇ」な基一が力業で噛み砕いてくれる宇宙論がこの映画の最大の見所だろう。サラカとボーイ・ミーツ・ガールする基一と対照的に、一緒に旅行するはずの女の子に去られてしまった喜一。喜一は逆に、インドで老人に弦楽器を習おうとする。ギター弾きの基一が物理に目覚めたことと、まさに対称的な構図。

基一が盗撮犯を殴りに行く場面で、止めに入った学生たちの中に参加している小島よしお。この場面のすぐ後でサラカの部屋に赴いた基一が口にする、「そんなの関係ねぇよ」。実にさり気ないので、この小ネタに気づかない人もいたかもしれない。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)アブサン 山ちゃん [*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。